熱海町歌、今の熱海市歌がどのようにして生まれたのか。郷土史家の鈴木徳治さん(89)=熱海市=によると、作詞した文豪・坪内逍遥(1859~1935年)の日記「さながら帖」のうち、山田清作に送られた「山田本」にその経緯が記されている

 ▼1923(大正12)年4月19日。岸衛町長が助役と共に講演会の依頼で逍遥が住む水口町の双柿[そうし]舎を訪れ、帰り際にいつか町歌を作ってほしいと告げた。すると逍遥は夜を徹して詞を書き、翌日町役場を訪ねて岸町長らに渡した

 ▼なぜ一晩で書き上げたのか。そのヒントが双柿舎近くの海蔵寺の墓所に刻まれた歌にあるという。古希に詠んだ「人の世の思いは遠く老いらくの来る日は近しせんすべもなき」

 ▼人生いろいろやりたいと思っても、年月はどんどん過ぎていって意のままにならない―という意味があり、鈴木さんは「物事は先延ばしせずにやるという考えだったから、町歌もいつか、ではなくすぐに作った」と逍遥の生き様を説いた

 ▼真冬を知らざる常春熱海 真夏も涼しき秋の海辺に…。命日に開かれた記念祭で、今年も熱海市歌が斉唱された。熱海の風土を愛し、文化振興に貢献した逍遥の人柄にも思いをはせながら口ずさんだ。