伊東市鎌田の伊豆新聞本社裏側に屹立[きつりつ]する「城山」の名は、文字通り山城(鎌田城)があったことに由来する。近年、伊東市教育委員会が大規模な発掘調査を行い、北条早雲の伊豆侵攻の際に落城したことが明らかになった

 ▼早雲は1493年、沼津市根古屋の興国寺城を足掛かりに、韮山「堀越御所」の足利茶々丸を襲撃。伊豆西海岸の海賊(伊豆水軍)を味方に付け、5年ほどで伊豆各地の豪族を平定した。この時の戦いで狩野城、柏久保城、河津城などが落城している

 ▼特に下田市堀之内の深根城主・関戸播磨守は激しく抵抗したため、女や子どもまで皆殺しにされ、千余の首がさらされたと伝わる。茶々丸もこの地で最期を遂げたとされ、城跡の外れに伝「茶々丸の墓」がある

 ▼早雲は韮山城を築き、生涯をこの地で過ごした。相模にも侵攻し、約100年に及ぶ北条五代の礎を築いた。早雲は戦国大名の第1号で、日本の歴史を大転換させた風雲児にもかかわらず全国的な人気、知名度はいま一つ

 ▼伊豆は戦国幕開けの地であり、早雲の史跡や足跡は伊豆全域に残る。NHK大河ドラマ化が実現すれば、その恩恵は計り知れない。来年の早雲没後500年を機に、運動を盛り上げていきたい。