「令和」が始まり、熱海市西山町の佐佐木信綱旧居「凌寒[りょうかん]荘」を訪ねた。門の脇で迎えてくれたのは信綱作詞の「夏は来ぬ」の冒頭に歌われる「卯[う]の花」で、かれんな白い花に頬が緩んだ

 ▼出身地の三重県鈴鹿市から譲り受けた苗木も庭で育っていると、管理・案内を担う「凌寒会」の会員に聞いた。例年より早く見頃を迎えたそうで、新しい時代の幕開けを祝っているように思えた

 ▼歌人で国文学者の信綱は、新元号の典拠となった万葉集の研究でも知られる。1944年から亡くなる63年まで凌寒荘で暮らした。食糧難の太平洋戦争末期、庭を畑にしてキュウリやナスを栽培、大伴旅人の「讃酒歌」にちなみ「讃胡瓜歌」を詠んだ―というエピソードが残る

 ▼「令和」は旅人が九州・太宰府で催した梅花の宴に由来することもあり、信綱の下で仕事を手伝った山内千恵子さん(89)は「さまざまなことが先生とつながるのがうれしい」と声を弾ませた

 ▼「久にしてみすこやかなる師の君のみ教へをうく庭は初夏の花」。山内さんは上皇后美智子さまの祖母で、信綱に師事した正田きぬさんの歌集を開き、凌寒荘で詠んだ歌だと教えてくれた。初夏の花はやはり卯の花だったのだろうかと思いを巡らせた。