「泰平の眠りをさます上喜撰(蒸気船) たった四はい(四隻)で夜もねむれず」。黒船来航時の慌てぶりを、蒸気船と当時上等な茶の銘柄だった上喜撰にひっかけて詠んだ。歴史の教科書にも載っている有名な落首だ

 ▼鎖国体制下の幕府や当時の人々にとって黒船来航は、驚天動地の出来事だった。その後、幕府の弱腰に西国の雄藩を中心に尊皇攘夷論が盛り上がり、明治維新へとつながっていく

 ▼だが、下田の人々は最初から友好的だった。故肥田実氏の「下田の歴史と史跡」によると、ペリー入港時に外出禁止のお触れが出たものの「艦隊兵員と下田町民の交流は案外スムーズに、大きなトラブルもなく進んだようだ」とある

 ▼通訳として随行した清国人羅森の記録には「了仙寺では多くの町民が参詣していた。女は赤い紐で髪を結い、逃げたりはしない。男は着物の裾をはしょって股を出して歩いていた」とあり、町民たちが普通にふるまっていた様子がうかがえる

 ▼こうした開港以来の友好関係を下地に、黒船祭はごく自然な形で始まった。戦争で6年間中断したが、終戦2年後には再開している。80回の節目を迎えた日米友好の祭典は、きょうメイン行事の記念式典とパレードが行われる。