私立伊豆学校で嘉納治五郎の高弟・富田常次郎が柔道を教えた講道館分場を示す碑=伊豆の国市の県立韮山高内

 県立韮山高敷地内の多田池のほとりにある「講道館韮山分場之跡」碑の裏面には、「明治廿年十月、日本傳講道館柔道開祖 嘉納治五郎 高弟富田常次郎ヲ派遣シ、講道館最初ノ分場ヲ開設セシム」と刻まれている。

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 嘉納治五郎(1860~1938年)は日本のクーベルタンと呼ばれ、オリンピックの選手派遣で尽力したことで知られるが、何よりも講道館柔道の創始者として、そして柔道界の父として尊称されている。高弟の富田常次郎(1865~1937年)は講道館四天王の一人であり、小説「姿三四郎」の作者である富田常雄の父親でもある。

 なぜ彼らが韮山高と関係しているのかについては、常次郎自身が伊豆に関係していたからで、もともとは沼津の西浦出身で、幼少時に天城で給仕をしていた時があった。この時に治五郎の父親で海軍省管財課に関係する嘉納治郎作が天城山に出張の折に常次郎を見初め、東京に引き取って息子の治五郎の書生としたのである。

 1882(明治15)年に治五郎が講道館を設立する折には、常次郎はその一番弟子として尽力し、西郷四郎、横山作次郎、山下義韶の4人で四天王と呼ばれ、この中の西郷四郎が「姿三四郎」のモデルとなった人物である。

 やがて常次郎は、87(同20)年に江川英武校長の私立伊豆学校(韮山高の前身)に、英語・体育の教師として招かれる。当然のことながら体育授業は柔道が中心となり、このため伊豆学校の柔道場が講道館分場と呼ばれることとなった。

 常次郎はその後、学習院の柔道講師となり、柔道使節として渡米する。得意技は捨身技・足技というが、「巴[ともえ]投げ」がその一つといわれている。ちなみに西郷四郎の技は「山嵐」だった。

 95(同28)年、旧制韮山中が開校するが、当時の寄宿生たちは、放課後柔道を練習するようにという寄宿舎規則が作られており、常次郎が去った後も柔道は続けられた。

 碑は韮山分場百周年を記念して1987(昭和62)年に建てられ、嘉納治五郎の孫の行光が標題を揮毫[きごう]している。

(県立韮山高校長、伊豆の国市文化財保護審議委員会副会長)

 【写説】私立伊豆学校で嘉納治五郎の高弟・富田常次郎が柔道を教えた講道館分場を示す碑=伊豆の国市の県立韮山高内