聞力寺にある宮田半兵衛顕彰碑=大阪府高槻市

 翌日、私は午前9時にJR神戸線の摂津本山駅からタクシーで六甲山の麓にある寒天橋を目指しました。関西寒天に造詣の深い石坂澄子さんが同行してくださいました。石坂さんは関西寒天の関係者に聞き取り調査をする中でしばしば「伊豆のテングサは上質」という言葉を聞いたので、松崎や白浜に取材に来られたことのある方です。

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 摂津本山駅から15分くらいの渦森台という住宅街のはずれで下車し、六甲山の登山道の入り口から歩きます。山道を少し行くと、道標が立っていて左方向が「寒天山道」、右方向が「寒天橋」と書いてありました。

 さらにしばらく歩くと眼下に渓流が現れます。それを見下ろしながらさらに歩いていくと小さな橋にぶつかりました。それが寒天橋でした。橋の欄干に「架昭和55年6月」と書いてあります。天城の寒天橋は1931(昭和6)年に架けられたものです。それに比べると新しい橋です。

 登山道の一部なので道幅は狭く、人が3、4人並んで歩くのが精いっぱいという感じです。長さも天城の寒天橋の半分強といったところです。船坂をはじめ六甲山地では寒天作りが盛んに行われたので、そのことにちなんで麓のこの橋に寒天橋という名を付けたのだと思いました。東西に寒天橋があるというのは、あまり知られていないことだと思います。

 その後、JR神戸線で高槻駅を目指しました。約45分後高槻駅に着き、そこからタクシーに乗り約15分で聞力[もんりき]寺に到着。境内に宮田半兵衛の顕彰碑が建っていました。それには「半平」と書かれていますが、ほとんどの文献が「半兵衛」と記しているので私も半兵衛と書くことにします。

 寒天が最初に発見されたのは江戸時代初期の京都伏見です。約100年の間は、伏見で独占的に寒天製造が行われました。その間に寒天は幕府の対清貿易の一品に選ばれ、市場を大きく広げます。その中で、摂津の半兵衛は伏見の寒天場で寒天製造法を学び、それを摂津に持ち帰り、製造器具などの改良を加えて良質の寒天を製造しました。

 寒天は当時、料理にはもちろんお菓子作りにも欠かせない食材でした。寒天と小豆を合わせて練りようかんを作る苦労話が高田郁の「銀二貫」という小説に描かれています。主人公の松吉は寒天作りを摂津の半兵衛のもとで学びます。そして、糸寒天と小豆を合わせた練りようかんを開発します。その際南伊豆のテングサが用いられたと、小説には書いてあります。(小田原短期大教授)

 【写説】聞力寺にある宮田半兵衛顕彰碑=大阪府高槻市

 【写説】六甲山麓の寒天橋=神戸市