箱根大根を世に広めた平井源太郎を顕彰し建てられた箱根大根碑=三島市初音台・五本松交差点

 三島市の国道1号沿いで、箱根街道入り口に建っている箱根大根の碑の表には、「箱根八里の馬子吹き消へて 今は大根を造る歌 源水」と刻まれている。源水とは地元出身の平井源太郎(1882~1940年)のことである。

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 幕末期、韮山代官の江川太郎左衛門英龍(坦庵)が農兵の訓練に際し、士気の鼓舞と団結を図るために鼓笛隊を組織したことにあやかり、平井は「ノーエ節」を「農兵」として唄と踊りを付けて「農兵節」を作ったのである。平井は陣羽織にすげ笠のいでたちで歌い踊り歩き、この唄の普及に努めた。

 さて、江戸時代から当地は東海道として人の往来があったものの、1889(明治22)年に東海道線が開通したことにより大きく寂れ、副業であった農業に頼らざるを得なくなった。箱根西麓の三島の台地は斜面が多い畑地であったが、排水が良く、火山灰土ということから、当時の『増訂豆州志稿』(1888=明治21年刊)には、「胡蘿蔔(ニンジン)数種アリ専ラ根ヲ食フ各地ニ産スト雖家原、市山、三ツ谷、辺ヨリ出ル者殊ニ美味ナリ」と書かれており、ニンジンが栽培されていたことが分かる。

 やがて大根が栽培されるようになる。これは箱根大根、三島大根と呼ばれ、たくあんの原料としてもてはやされるようになるのである。今のみしまコロッケ以前の特産物といえよう。

 1930(昭和5)年11月26日、北伊豆地震により野菜生産に大被害をもたらした時、奇人変人扱いされていた平井は、この期を利用して箱根大根の販路拡大に乗り出した。これにより一躍箱根大根は世に知られるようになったのである。

 碑は戦後47(同22)年1月に、当地の人たちによって平井源太郎を顕彰するために建てられた。森崎平作を発起人として三島農業会、町内会長会が立ち上がったのである。

 今日、箱根西麓の良質な土壌で育った大根は、地面が凍る直前の11月後半に抜き取られ、干し場に並べられる。雪化粧した富士山を背後に、白く輝く抜きたての大根は三島の風物詩として広く知られている。

(県立韮山高校長、伊豆の国市文化財保護審議委員会副会長)

 【写説】箱根大根を世に広めた平井源太郎を顕彰し建てられた箱根大根碑=三島市初音台・五本松交差点