「(伊東温泉)天然記念物指定、珍魚の棲息せる浄の池」と記された昭和初期の観光絵はがき。こんな小さな池(複数あった)に南方系の異魚5種がすんでいた(佐藤真一さん提供)

 かつて伊東市に、「浄[じょう]の池」という底から温泉が湧き出る池があった。そこに南方系の魚がすみ着き、大変珍しいとして国の天然記念物に指定された。大正、昭和初~中期の伊東を代表する観光名所だったが、狩野川台風で濁流が流れ込むなどして温泉が枯れ、魚は姿を消してしまい、やがて池は埋め戻された。半世紀以上がたち、さきごろ同市宇佐美の川で、浄の池にいた異魚5種の一つユゴイが捕獲された。温泉が流入する特殊な条件により生息しているとみられ、ジオパークの一環で浄の池を模した伊豆ならではの“ビオトープ風の温泉池”を復元できないか―との声も上がっている。(文・森野宏尚)

 伊東市宇佐美の烏[からす]川、仲川、宮川の3河川でさきごろ、県水産技術研究所・富士養鱒場(富士宮市)によるニホンウナギの生態調査が行われた。その中で、ユゴイが捕獲された。

 ユゴイは黒潮の影響を受ける地域に見られるが、九州以北での成魚の出現は極めてまれ。静岡県版レッドデータブックによれば本県での確認河川は十指に満たず、宇佐美の河川は含まれない。国外では西太平洋からポリネシアまでの熱帯域に分布。全長は約20センチ。成魚は河川汽水域から淡水域にかけて生息、まれに内湾に出ることもある。

 今回、ユゴイが捕獲されたのは烏川と宮川。体長2センチほどの稚魚で複数確認された。富士養鱒場の鈴木邦弘さん(42)は「夏に沖縄など南の海で生まれた稚魚が黒潮に乗ってやって来て、川に入り成長する。通常の川では水温が下がる晩秋に死んでしまうが、宇佐美の川は温泉が入り込んでいるため冬でも確認された。ただし大型個体が見られないため、冬の間に死んでしまっているようだ」と話す。

 浄の池のユゴイについて鈴木さんは「(土産で販売されていた)絵はがきを見る限り、オオクチユゴイ」とする。ユゴイよりも数が少なく珍しい。より水温の高い場所を好み、マングローブが生えているような川にすむ。「私の知る限り、伊豆半島にもユゴイに交じって生息している場所がある。ユゴイも含め生息数は年によって全然違い、ごくまれに冬を越し定着しているものもいる。浄の池はそういう場所の一つだった」と解説した。

 一方、今回は見つからなかったが、鈴木さんが期待したのが異魚5種の一つオオウナギだ。本県版レッドデータブックでは過去に烏川で確認されている。現役時代に建設業を営んでいた宇佐美の源久政男さん(78)は15年ほど前、分譲地整備で宮川支流の幅1メートルにも満たない水路の改良中に、大人の腕ほどもある長さ1メートルほどのウナギ2匹を捕まえたという。「普通のウナギには見えず、今思えばオオウナギだったのか?。捕獲場所は温泉が流れ込んでいるのか水温が若干高く、水量はちょろちょろだった」と記憶をたどった。

 オオウナギの数は極めて少ないが、県版レッドデータブックによれば伊豆では大浜川(下田市)、河津川でも確認されている。浜名湖では捕獲例がある。

 ■底から温泉、南方系魚がすみ着く 貴重で天然記念物に

 浄の池は伊東市和田一丁目、現在、横山医院が建っている場所にあった。同所はかつて浄円寺(元々は現伊豆市冷川にあった)という寺の境内だったことから浄の池という名が付いたといわれる。

 大小数個あった池は、最大でも直径10メートルほど(当時の寺が作った資料によれば約80平方メートル)の小さなもので、池底から温泉が湧き出て水温は常に26~28度あった。池は唐人川を通じて松川(伊東大川)の河口付近とつながり、魚が行き来していた。すみ着いていた魚は、淡水にもかかわらず南方系の海水魚や汽水域などで生活する魚だった。

 その代表格がオオウナギ(方言名・蛇鰻)、ユゴイ(同・湯鯉)、オキフエダイ(同・毒魚)、コトヒキ(同・じんなら、じんならうお)、シマイサキ(同・横縞)の異魚5種だ。多くは浄の池が生息地北限とされ、わが国における天然記念物制度が制定されて間もない1922(大正11)年に内務省指定の天然記念物になった。

 富士養鱒場の鈴木邦弘さんは「5種のうちオオウナギ、ユゴイ、オキフエダイは海や川を行き来する南方系の魚で珍しい。子孫を増やそうと卵や稚魚が暖流に乗って伊豆沖や房総半島付近までやって来るが、冬を越せない死滅回遊魚で、温泉が流れ込んでいたため浄の池にすみ着いたのだろう。オキフエダイは捕獲したことはないが、伊豆近辺にもいるはずだ」とする。

 室生犀星の詩に登場することで広く知られる「じんならうお」ことコトヒキ、シマイサキは共に県内の汽水域などで普通に見られるという。近くのコンニャク製造・販売店経営の福田浩一郎さん(54)は「じんならは松川にもけっこういて、子どもの頃に大川橋上流辺りですくい、浄の池に入れたことがある」と話した。

 じんならうおのことを記した室生犀星の詩碑が、同市桜木町の伊東聖母幼稚園前の伊東大川沿いにある。

 ■かつて伊東の代表的観光名所 狩野川台風で濁流入り消滅

 浄の池は昭和中ごろまで、汐吹海岸(新井)とともに伊東を代表する観光名所だった。多くの観光客が押し寄せ、近くで自転車店を営む前田富男さん(76)は「入場料金を取り、一般に見せていた。観光バスが立ち寄り、大変にぎわった」と振り返る。

 戦後間もなく東京から疎開し、浄の池近くに住んでいたことのある郷土史家・小林一之さん(76)は「温泉の湯煙が立つ中、じゃうた(オオウナギ)が底の方を悠々と泳ぎ、気持ち悪い魚がうようよいた。金魚でもないし、何だろうと思った」という。ガラスの円柱に入ったアルコール漬けの大きい魚も展示してあった。

 福田さんの父・充男さん(80)は「浄の池の場所は湯端町(旧町名)の境付近で、町名通り50センチぐらい掘れば温泉が出た。自分の住む所は井戸川町(同)で、仏現寺側の丘(物見が丘や大原町)から湧水が豊富に出た。浄の池から東側にはいくつも池があった」と懐かしんだ。今一帯は住宅密集地になった。

 その後、1958(昭和33)年の狩野川台風で伊東大川が氾濫し、浄の池に濁流が流れ込んだ。温泉の湧出は止まり、南方系の魚は姿を消してしまった。近くで釣具店を経営する田中利暁さん(67)は「75(昭和50)年ごろまで池はあったが、その後埋め戻されて駐車場になり、病院ができた」とし、往時の観光名所は完全に消滅した。

 ■ジオの一環で復元を ビオトープ風の温泉池

 「浄の池はどこにありますか」。今でも時々、訪ねてくる人があると近所の人らはいう。

 そんな中、富士養鱒場の鈴木邦弘さんは「浄の池を復元できないか」と提案する。「伊豆の有用な資源である温泉が特殊な環境をつくり出し、南方系魚類の生息を可能にしている。自然石などを利用してビオトープ風の池を造り、温泉を流し込めば浄の池にいた異魚5種が確実にすみ着くとは言えないが、少なくとも南方系の魚類などが集まるはずだ。伊豆半島ジオパークとからめて復元・整備することで、新たな観光スポット、子どもらの生物や環境を学ぶ教育の場にもなる」と訴える。

 往時を知る田中さんも「温泉はかけ流しているわけだし、それほど難しい話ではない。面白いのではないか」と後押しする。浄の池と海とを結んだ唐人川の昔を知る福田さんや前田さんは「水が澄んだきれいな川だった。ウナギなどを捕った思い出もある」というが、今の唐人川は臭いがきつくどぶ川同然だ。川の再生もからめ復元・整備できれば、観光地・伊東の新たなシンボルになる。市役所跡地(松川藤の広場)への復元も一案―という人もいる。

 【写説】「(伊東温泉)天然記念物指定、珍魚の棲息せる浄の池」と記された昭和初期の観光絵はがき。こんな小さな池(複数あった)に南方系の異魚5種がすんでいた(佐藤真一さん提供)

 【写説】伊東市宇佐美の烏川、宮川でも捕獲されたユゴイ。南方系の魚で、温泉が流れ込んでいるため生きられるらしい。体長20センチになる

 【写説】浄の池にすみ着いていたオオウナギ。体長は最大2メートルにもなる。県内では浜名湖で捕獲例、宇佐美の烏川でも確認(魚の写真は富士養鱒場提供)

 【写説】浄の池にすんでいたという方言名「毒魚」のオキフエダイ(観光絵はがき、田中利暁さん提供)

 【写説】室生犀星の詩で知られる「じんならうお」はコトヒキのこと。それほど珍しくなく伊豆にもいる。体長30センチになる

 【写説】方言名が「横縞」のシマイサキ。この魚もそれほど珍しくない。体長30センチになる