1.今山の山頂近くに鎮座する、きらきら輝くガラス質を含有する大きな石。火山活動の副産物か

 ■山と人々=伊豆水軍の城と花栽培 一帯は大きな噴火口跡?

 西伊豆町大田子[おおたご](田子の元々の中心地)と安良里の間に、円形の突き出た岬があり、この中央が今山である。

 一帯の地形を見て育った大田子の元町職員、町文化財保護審議会長の藤井駒一さん(73)は「今山を中心に直径5キロほどは大きな火口と想像される。海図でも分かる通り火口周囲に当たる所は水深10~15メートルほどで、最も浅い所は5メートルほどしかない。一方で内側の尊之島と弁天島の間は40メートルほどと深い。安良里港内も今は水深16メートルほどだが、明治時代は30メートルほどあった」

 加えて「陸上部分の標高350メートルの法印塚や白川からは貝の化石が出る。海が隆起したためだ。中心の今山は大きな火口をつくった噴火後に噴火してできた。この説を以前、温泉調査で訪れた福島大の三本杉巳代治教授(当時)に話すと賛同してくれた」という。

 今山には北条方の伊豆水軍の拠点となった小松城(室町時代中期築城)と安蘭[あらん](阿羅[あら]、安良里)城(北条氏後期の築城)があった。だが正確な場所は不明で、藤井さんは「小松城は古墳時代後期の辰ケ口岩陰[たつがくちいわかげ]遺跡(墳墓、町史跡、藤井さんが発見者)の辺りといわれるが、同所は住居跡で私は山頂近くだと思う。安蘭城は網屋崎[あみやさき]の丘陵とされるが、そこは砦[とりで]で実際はもっと高所の平たんな場所にあった」と推測する。小松城は後に、田子の後背地に田子城として移った。

 今山一帯などには明治時代、40年以上たたないと売れない杉、ヒノキに代わり10年余で金になる大島桜を植え、まき用に清水などに船で運んだ。燃料の変化で桜は廃れ、大正時代には霜が降りない立地を生かしてエンドウ豆、その後、花き栽培に移行していった。

 「マーガレットや金魚草は今山、カーネーションやバラ、ストックなどは集落近くで作った。マーガレットは千葉での栽培が国内初で、本県資料で田子は1929(昭和4)年の導入だが、古老は大正末期から始めたと言い、田子が国内初の可能性もある」と藤井さんは力説する。花き栽培は連作障害があるため、アロエに切り替わった。

 田子、安良里と言えば漁業が思い浮かぶ。賀茂地区生涯学習大学・葵学園理事の水口千歳さん(75)=安良里=は、天然の良港としてイルカ漁で栄えた安良里の盛時を「石油缶に詰めた札束の枕で寝たほど」と表現した。安良里のイルカ漁は江戸時代~昭和40年ごろまで行われ、最盛期は昭和中ごろだった。イルカ供養塔も3基残る。田子、安良里はカツオ漁も盛んだった。

 ■登山記=夕日撮影の人気エリア 網屋崎は不思議な空間

 美しい夕日で知られる人気エリア、西伊豆町大田子の「大田子夕陽展望所」から歩き始めた。沖の田子島の男島[おじま](左)・女島[めじま]の真ん中に夕日が沈む春分(3月)と秋分(9月)や、白根[しらね](めがねっちょ、通称ゴジラ岩)と夕日を絡めて撮るのも人気で、多くの写真愛好家が訪れる。駐車場が満車の場合もあるので注意が必要だ。

 奥の川沿いを上流側に行き、診療所横を左折する。車1台がやっと通れる細い道は西伊豆歩道を兼ね、海の景色を楽しみながら進むと、地図のゼンリン指定保養所「南風荘」がある。「以前、歌手・五木ひろしさんの別荘で、元プロ野球選手・監督の落合博満さんがキャンプを張った」と水口千歳さんは話す。

 眼下の海沿いに隔絶した二つのキャンプ場があり、近年人気が高まる。斜面にはアロエ畑が広がり、冬季は紺碧の海とオレンジ色の花の対比が鮮烈だ。

 車道の終点から今山の登山道が始まる。「あずまや先の段々畑の辺りは正番[しょうばん]で、戦国の世に沖を通る船を見張った」と藤井駒一さん。登山道を登り切ると平たんな場所に出る。一帯は昔の畑跡で、山頂奥などにもある。

 ベンチ付近から静岡県の境界コンクリート柱のある尾根を上る(登山道は未整備、注意)と、間もなく今山山頂。頂上近くに含有するガラス質がきらきら輝く大きな石があった。火山活動の産物か。山頂は樹木に覆われ、景色は開けない。頂上に登る途中や、ベンチからさらに下ると鹿の食害で樹皮が無数食べられ、西風の追い打ちで樹木が倒れ無残だ。伊豆でもまれなほどの惨状である。

 「下った谷あいが大田子と安良里の境の水尻で、昔、境界争いがあった。この辺りはカヤ刈り場だった」と藤井さん。この先には富士山や黄金崎などの絶景ポイントがある。

 途中から分岐し網屋崎に立ち寄る。イルカ漁で使う網を収納したかやぶきの網小屋を町が復元したが、朽ちかけている。船を格納した石積みも多くある。海に近い平坦地に数百本のウバメガシやハマボウが群落をつくり、津波を防ぐ「潜在自然植生防災林」として注目を集める。その中に浦守神社がある。一帯は不思議な空間だが、漂着ごみが多く気掛かり。

 藤井さんは「一部文献に網屋崎がハマボウの北限とあるが、北限は八木沢(伊豆市土肥)。ウバメガシ、ハマボウの樹林は町天然記念物」と説明する。「今、船を係留する最奥のコンクリートで囲った所は、安良里がカツオ漁で盛んだったころ、餌のイワシを入れたいけすだった」と水口さんはいう。来た道を戻り、安良里に出て旧道を夕陽展望所に向かった。

 ■ジオ解説=砂嘴というより礫嘴 津波防災林として注目―網屋崎

 今山の遊歩道は、海岸沿いとはいえ高低差のある歩きがいのあるコースだ。今山は伊豆が海底火山だった頃の名残で、「溶岩流」や「マグマの通り道」などからなる。噴火を終えてから数百万年の時がたっているため火口などの火山地形は残っていないが、硬い溶岩流などが浸食に耐え、アップダウンのあるコースを演出している。

 安良里の港の入り口をふさぐように網屋崎が延びている。網屋崎は、沿岸の流れが運んできた土砂が湾の入り口にたまってできる砂嘴[さし]という地形だ。

 岸に沿って流れてきた流れが、湾の入り口で湾の中へと緩やかに向きを変える際に土石を堆積させるため、緩やかな弧を描くような形になる。これが鳥の嘴[くちばし]のような形状のため、砂嘴と呼ばれる。沼津市の戸田や大瀬崎にも安良里と似た特徴的な砂嘴が見られる。

 今山の遊歩道から寄り道をして急な坂道を下ると、網小屋のある網屋崎に出られる。岬の中には大きな石が転がり、砂嘴というよりも礫嘴[れきし]といった雰囲気だ。大小さまざまな石が転がるこの岬には、ハマボウやウバメガシの群落が広がる。こうした植物は、東日本大震災以降、津波の力をやわらげる防災林としての機能が見直されてきている。

 将来の津波に備え、防災林を育む取り組みとして、静岡大のグループよるハマボウの植栽が始まっている。伊豆の海岸を特徴付ける植物たちの、別の一面にも注目していきたい。

(伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員・鈴木雄介)

 【写説】今山の山頂近くに鎮座する、きらきら輝くガラス質を含有する大きな石。火山活動の副産物か

 【写説】今はアロエが多く栽培され、オレンジの花が青い海と美しいコントラストを見せる。手前の島は弁天島、奥が尊之島、最奥の右端は雲見の烏帽子山

 【写説】1986年(昭和61)年に町が2棟の網小屋を復元したが、朽ちかけている。イルカ漁の網を保管した=網屋崎

 【写説】網屋崎の浦守神社周囲の海に近い平坦地にはウバメガシが群生し、津波を防ぐ「潜在自然植生防災林」として注目を集める

 【図表】登山データ表

 【図表】登山ルート図