長男と尽力し「増訂豆州志稿」を完成させた萩原正平の頌徳碑=伊豆の国市小坂の小坂神社

 江戸時代後期に安久村(現三島市)の豪農、秋山富南(1723~1808年)が編さんした「豆州志稿」全13巻は、韮山代官江川英毅の協力を得て伊豆半島の地誌をまとめたもので、当時の村の様子や歴史が大変よく分かるものである。

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 これを増補改訂したのが萩原正平・正夫父子である。萩原正平(1838~91年)は小坂村(旧伊豆長岡町、現伊豆の国市)の豪農出身である。若い時に熊坂村(旧修善寺町、現伊豆市)の竹村茂雄に国学を学び、江戸に出て平田門下に師事した。

 1871(明治4)年に韮山県の神社取調御用係に任ぜられたことで、伊豆半島と伊豆七島の調査を行った。このことが秋山の編さんした「豆州志稿」を検証する機会となる。

 その後三島神社や伊豆山神社の神道関係の仕事に従事し、81(同14)年には県会議員を歴任している。

 家督を長男正夫に譲った後、「豆州志稿」の不足な面を補おうと、再び伊豆半島を歩き、88(同21)年に「増訂豆州志稿」第1巻を出版した。しかしその3年後に病で倒れて正平は急逝する。長男正夫はこれを受け継ぎ、自らの「伊豆七島志」を加え、「増訂豆州志稿」全13巻を完成したのである。

 正平の頌徳[しょうとく]碑「道足真心根老翁之碑」を建立するに当たり、大社教副管長大教正であった本居豊頴は、「天資温順謹直ニシテ品行端正人ニ接スル懇篤ナリ夙ニ帝室ヲ尊崇シ敬拝シ皇學ノ衰頽ヲ慨歎シ其擴張ヲ以テ自任シ寒暑ヲ侵シテ東西ニ奔走シ風雨ヲ厭ハズ山川ヲ跋渉シテ皇學擴張神道布教ニ從事シ又神道葬祭ノ端緒ヲ開ク…」と文章を書いている。

 小坂地区はもちろんであるが、従来の仏教葬祭の中に、新たに神道葬祭を広めたのが正平であった。

 この碑の題字は、出雲国造従三位男爵であった千家尊福が揮毫[きごう]しており、正平の従事してきた神道関係者が関わっていることが分かる。碑は小坂神社境内に立っている。

 「増訂豆州志稿」は今も伊豆の歴史のバイブルとして利用されている。

(県立韮山高校長、伊豆の国市文化財保護審議委員会副会長)

 【写説】長男と尽力し「増訂豆州志稿」を完成させた萩原正平の頌徳碑=伊豆の国市小坂の小坂神社