1933(昭和8)年ごろの湯ケ野温泉

 文化庁の日本遺産「伊豆の旅館と文豪遺産」の登録を目指した動きがある。その先駆けとも言える文人たちの伊豆来訪を拾ってみた。

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 人馬だけしか越えられなかった「天下の険」天城越えも1905(明治38)年、天城山隧道(ずいどう)が完成、乗り物によって北伊豆−南伊豆が往来できるようになった。それまで全てが湯ケ島止まり。多くの文人、墨客もは湯ケ島止まり。一時「湯ケ島文化村」と呼ばれる時代があった。

 「伊豆の踊子」の川端康成に先立って、明治後半から大正、昭和の初めに活躍した文人たちの天城越えを記憶に留めたい。

 天城隧道が完成した4年目、1909(明治42)年2月、島崎藤村、田山花袋、蒲原有明、武林無想庵の4人は連れ立って伊豆の旅に出掛けた。時に詩人であり小説家の藤村は37歳、小説家の花袋は38歳、詩人の有明は33歳、フランス文学者で評論家の無想庵は29歳で、彼らは当時すでに文壇でそれぞれ重きをなしていた。

 藤村はこの旅を「伊豆の旅」、有明は「豆北豆南」、花袋も「伊豆の旅」に書いている。4人は2月21日東京駅に集合。東海道線を三島で降り、駿豆鉄道電車で大仁駅に到着(当時電車は大仁駅が終点であった)、狩野川畔を歩いて修善寺温泉の「新井旅館」に泊まった。

 翌22日は馬車に乗って湯ケ島へ。湯ケ島では「落合楼」に泊まり、23日には馬車にて天城峠へ向かう。

(河津町梨本、旅のジャーナリスト顧問、元民宿「てっぽう」経営・隔週掲載)

 【写説】1933(昭和8)年ごろの湯ケ野温泉