「稲取どんつく踊り」のありささん(左)。右は歩路乃さん=6月、東伊豆町稲取の町役場前

 今年6月、稲取「どんつく祭」で恒例の「稲取どんつく踊り」を芸妓[げいぎ]衆が披露した。コミカルな動きで観客を沸かすてんぐに扮[ふん]したのは、ありささんだ。芸歴5年のありささんにとって、芸妓はコンパニオン会社社長、クラブ経営に続く3足目のわらじだ。

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 高校卒業後、美容師だったありささんはシングルマザーとなったのを機にコンパニオンを始めた。初めて仕事を終えた夜、泣いた。「客とうまく話せない。情けなかった。美容師と違い水商売は女を武器にしているようで」。だが生活のため美容師と兼業で続けた。

27歳で会社設立

 27歳でコンパニオン会社を設立した。バブルの残り香があった時代だ。30人ほど雇い「頂上に行かせてもらった」。やればやっただけ売り上げとなりとめどなかった。しかし5、6年で景気は悪化、先細りに。稲取に出入りしていた20軒以上のコンパニオン会社は20年後の今、3軒のみ残る。

 10年前、先を見越しクラブを開店した。苦しい中で2人の娘を大学へ通わせた。「1人50万円の授業料を4月と9月に振り込むの。地獄だった。家の電気を止められたこともあった」

「踊りなんて“簡単”」

 花柳界との縁は5年前にできた。稲取見番が廃止され、見番業務を引き継いだ会社から少ない芸妓の手伝いを頼まれた。「踊りなんて2、3回の稽古でできるだろうと考えていた」というありささんは、衝撃を受けた。ラウンジを経営する同業者の歩路乃[ふじの]さん(連載[3]に登場)がいた。稲取花柳界をけん引する芸妓だ。

 「遅くまで客とお酒を飲んでも、翌朝9時には着物を着て三味線を弾いている。お師匠さんに師事し、披露の予定にかかわらず何十年と稽古を続けている。うわさには聞いていたけれど本当にすごいと思った」

見えない努力

 仕事で歩路乃さんら芸妓と同席したことはあった。ただ、同じ宴席でも呼ぶ側の対応が違った。ホテルの正面玄関から入る芸妓を横目にコンパニオンは脇から入らされることもあり、面白くない思いもしてきた。今は自社のコンパニオンに、芸妓を立てるよう伝えている。「今日やって明日なれるものじゃない。芸妓は見えない努力を重ねている」

 実はありささんの母親は伊東の芸妓だった。幼い頃、座敷に出る母を置屋で見送る際に泣きだすと、験担ぎなのか口を押さえ奥に連れて行かれたのを覚えている。嫌っていた仕事に今自分が就き、踊りに“麻薬的な魅力”を感じている。

 「稲取どんつく踊り」のてんぐ役は去年まで歩路乃さんが務めた。ありさじゃダメだ、と言われたくない。自主稽古も重ねながらこれでいいのかと自問を続けた。終演後、歩路乃さんが「ありさちゃんの踊りだから、ありさちゃんのてんぐでいいんだよ」と声をかけてくれた。「次はもっと自分の色を付けられるかも」。悩んだ分、欲が出てきた。

 水商売に対する哲学も変わった。「色気を売りにして、いっとき良くてもすぐにつぶれる会社を幾つも見てきた。自分を律していい仕事をすれば、パートナーとして大切なお客さまの宴席を任せてもらえる」

尊敬し、信頼され

 これからも芸妓を続ける。「歩路乃さんがいる限り。ほれてるというか…尊敬してる。あんな風に踊りたい。それが稲取の活性化につながればうれしい」

 歩路乃さんもありささんに全幅の信頼を置く。「芸妓としても人間としてもね。負けず嫌いの努力家で、役割を必ず全うする彼女の存在は私の糧になる。コンパさんが芸妓になる道筋をつくった功績も大きい」。その道をたどるように、今年、コンパニオンの夏姫さんが5人目の稲取芸妓となった。(本社・平田春日記者)

 【写説】「稲取どんつく踊り」のありささん(左)。右は歩路乃さん=6月、東伊豆町稲取の町役場前