伊東市・松原八幡神社の秋祭りが、松原地区の中央を流れる伊東大川(松川)を挟んだ川西側と川東側が一体として始まったのは、1923(大正12)年4月、大川橋が簡易な橋から近代的な永久橋に架け替えられたことにより、東西の交流が活発化し、地域に勢いが生まれてきたことによります。

 こうしたことにより、松原八幡神社の御神輿(みこし)が巡幸する御幸道も橋を越えて広がり、川東側の中島町、栄町は、山車を建造し、秋例祭に町民が参加する機運が高められて行った。こうした中の34(昭和9)年、同神社の御神輿が新造された。

 新造当時の松原の地図を見ると、川東側は、唐人川と大川の中洲に出来た「中島町」(34年2月3日に「朝日町」に変更)、昭和初期に栄えた「栄町」と「辰田町」を表す「辰田新田」が、見える。

 川西側の海岸沿いの漁村は、「松原本区」と呼ばれる「上町」「中町」「下町」「稲荷町」である。この他、「松川町」と山の手に「新地」「猪の湯」の表示がある。町内の呼称も川東側と同じように、「上町」の「かみんじょう」を「かみちょう」、「中町」は、中に人偏を付けて、人が仲良く交流する意から「仲町(なかちょう)」とし、「下町(しもんじょ)」は、古くからの地区名を表す「伊勢」の名称が松月院の江戸時代末期の過去帳に残っていることから「伊勢町」に改名した。「稲荷町」の名称は、松原に祭られている稲荷神社の名称を後世に残した。「松川町」は、松川沿いに集う町内であるから名称を踏襲した。

 この他、「寺山町」「湯端町」「丸山町」「猪戸」は、町内の歴史が浅く、古地図には、表示がないが、現在の同神社周辺の「寺山町」は、今は岡にある朝光寺が当時あったことから付けた町名であり、「湯端町」は、松原温泉の元湯と伝えられる出来湯権現を祭る地であることから付けられた。「猪戸」は、古地図に「猪の湯」と明示され、将来の町内を表している。「丸山町」は、松原山の山腹に集積された町内から「丸山町」になったと思われる。