【写真1】撮影年代や場所は不明だが、1935(昭和10)年前後とみられる東海自動車のバスが写る。同社社史によればエンジンはフォード社製、ボディーは国産。今のマイクロバス程度の大きさ。既に天城峠を越え下田にも行っていた。砂利道で写真に写る人たちはみなおしゃれしている。遠出か?手前男性は湯ケ島の造り酒屋「天城屋」の浅田貢氏とみられる

 ■どこか懐かしい光景

 【写真1】撮影年代や場所は不明だが、1935(昭和10)年前後とみられる東海自動車のバスが写る。同社社史によればエンジンはフォード社製、ボディーは国産。今のマイクロバス程度の大きさ。既に天城峠を越え下田にも行っていた。砂利道で写真に写る人たちはみなおしゃれしている。遠出か?手前男性は湯ケ島の造り酒屋「天城屋」の浅田貢氏とみられる

 【写真2】写真を撮った鈴木功さん宅の近くの薬局の家族。居間に集合するこの写真を見た90歳すぎのお年寄りは「生薬屋のおばあちゃんだ」と証言したという。いろりは一般的な農家よりも小さめだ。後ろにはおひつも見える。当然だが電化製品など皆無

 【写真3】湯ケ島の弘道寺南側にある天城神社の秋の祭典風景。昭和10年代か。子どもたちの格好が時代を感じさせてかわいらしい。左側のかやぶき屋根の建物は庁屋で現在はない

 【写真4】湯ケ島地区(宿)のメーンストリート(下田街道)を通る葬列と見守る地域の人々。ひつぎも写る。「昔の葬式は、こんな感じだった」と調査に当たった安藤裕夫さん。現在はここを国道414号が通る。天城会館の少し下田寄り

 【写真5】戦中や戦前にはどこの学校にもあったという奉安殿。天皇陛下の勅語や写真を納めた。湯ケ島小では昔の正門横、校庭の北側にあった。学校に残る資料によれば、昭和10年に落成したが、敗戦により連合国軍総司令部の命によって1946(昭和21)年8月に撤去された。地元名士らが写り落成間もない頃か

 【写真6】下田街道の天城側の最後の集落である茅野地区。鉢窪山の麓に広がり、集落に2基あった水車の1基。前の砂利道はバスも通った下田街道

 【写真7】現在、国道414号が通る昭和10年代の湯ケ島・宿の風景。道幅が狭く砂利道の下田街道。ここを下田行きのバスが通っていた。舗装されたのは昭和40年代という。右側は酒店で、左手奥の2階建ての家は旧郵便局で2階は電話交換所だったという