【写真1】今ほど観光地化されていなかった頃の浄蓮の滝。看板には「浄蓮ノ滝ノ附近ヲキレイニシマセウ」と書かれている。セーラー服姿の女子学生と写る男性陣の服装は時代を感じさせる

 ■経済大国へ 静かな息吹

 【写真1】今ほど観光地化されていなかった頃の浄蓮の滝。看板には「浄蓮ノ滝ノ附近ヲキレイニシマセウ」と書かれている。セーラー服姿の女子学生と写る男性陣の服装は時代を感じさせる

 【写真2】1937(昭和12)年3月16日に持越鉱山の大沢坑内で発生した火災は48人が亡くなる大事故となった。その直後か。写真からも緊迫感が伝わってくる。事故をきっかけに277人が大整理されストにも発展したという

 【写真3】この写真を撮影したとみられる鈴木功さんの所有するワサビ沢を視察する有力者ら。左から2人目の着物姿が当時の上狩野村長。ワサビ沢は道の駅・天城越えの少し下田寄り・現国道414号沿い

 【写真4】天城山のスギやヒノキの人工林は戦前から戦後にかけて植栽され、樹齢70~80年ほどの木が多いが、そのスギやヒノキの苗木作りの風景とみられる。与市坂の林道を上った辺りに「八丁苗圃(びょうふ)」という苗場があったと聞いた。そこだろうか?

 【写真5】天城山の皮子平の近くに天然スギの大樹「精英樹」があり、この種から苗木を育てたという。昭和10年代のそんな作業風景の一こまか

 【写真6】半天の文字から旅館・落合楼の番頭さん。てんびん棒でお客さんの荷物を東海バスの湯ケ島駅があった天城会館(今の農協付近)に運ぶところか。下田街道の元足立医院(天城医院)前付近で、石塀や植木は今も残る

 【写真7】当時の営林署の木材搬出風景か。往時、営林署の事務所などがあった鉢窪山の麓の野畔(のぐろ)付近だろうか