伊豆の温泉は北の箱根から最南端の南伊豆町下賀茂まで数多いが、湯量・泉質は異なる。中でも下賀茂温泉は高い泉温と塩化ナトリウムの濃度が傑出する。かつて青野川の緩やかな河原の至る所から湧いていた。

 トビが傷を治したという「トビの湯」などがあり、近在では古くから温泉を浴びた。明治初期、憩いの場として川のほとりに始まったのが福田家旅館だ。効能は湿疹・冷え性・痔(じ)・婦人病などで、旅人は船で下田港や手石港から訪れた。天城トンネル開通後は多くの人が利用した。

 幸田露伴先生がお見えになったのは昭和初期だ。伊豆が好きな先生は下田や伊東にも来たが、下賀茂を気に入り昭和10年すぎまで何度も訪れた。筆者の父は福田家の次男で、敷地内でメロンを作り旅館を手伝ったので往時をよく話した。

 福田屋は河原中央に切石で囲った1坪ほどの浴槽「川原湯」が自慢だった。先生は1日に何回か浴び、朝風呂で必ず茶碗1杯の温泉を飲んだ(81歳までの長命はそのおかげ)。唐人お吉を世に出した下田の村松春水先生と将棋をしたあと2人でよく浴びた。“月天心風水面や川原の湯”“下賀茂や小萩こぼるゝ川原の湯”の句が残る。川原湯はスズキ・クロダイなどを風呂から釣れた。ウナギやエビも多く露伴先生に給した。アシタバなど山菜もお好きで、父は時期に山芋を掘った。

 下賀茂へ先生が来たのは60代の円熟期で、昭和12年に第1回文化勲章を受章した。福田家旅館は風水害と戦争で昭和20年に廃業した。昭和61年、町制30周年を記念し幸田露伴文学碑が建立された。碑文は“かぜ寒く松には吹けど湯のやまのかひには梅のはやさきにけり”で川原湯から見た景色である。銀の湯会館の隣に今もある。

 (南伊豆町、郷土史家グループ「南史会」会長)