鈴木真一が描いた依田佐二平の写真油絵=松崎町大沢の旧依田邸

 私は、土・日曜日の午後、頼まれもしないのに「囲炉裏番」と称して旧依田邸に極力顔を出すようにしている。築300年の異空間においての見聞・思考は、81歳にして別人格に誘ってくれる不思議さを味わう。

 特に「離れ」(長者の間)に置かれた籐椅子に座り、こじんまりとした庭園を眺めての対話は、互いの人間性が静寂の中に溶け出て、嘘のない人生勝負の場となったに違いない。また、蔵座敷2階の「天保の間」は、三浦哲郎が小説「忍ぶ川」を執筆、井伏鱒二も投宿されたという。頭上には太い丸太の梁、二方向の窓からの眺め、室内の空気は否が応にもインスピレーションが湧こうというものである。これら環境が佐二平、勉三という傑出人物を生む要因かと思う。

 さて、以前から気になっていたものに、鏡文字なる油絵「佐二平肖像画」がある。サインは「久米仙人」、鈴木真一の号である。一見「器用な人もいるものだ」と驚嘆していたが、ごく最近「写真油絵」なる技法であることを知った。下岡蓮杖門下の横山松三郎と開発したが、松三郎は洋画家高橋由一に彩色依頼して名が残り、真一は単独だったため残らなかった。

 真一は、松崎町岩地の高橋家「文左」の末子として天保5(1834)年に生まれた。佐二平・勉三にとって叔父に当たり、下田「大坂屋」の娘と婚約中、安政大津波に遭遇、家財一切を流失したが婿入りして鈴木姓を名乗った。これも縁となって蓮杖に弟子入り、写真家となった。その鈴木真一名は三人おり、娘婿岡本圭三が2代目、子息伊三郎が3代目を継ぐ。なお、弟子の鈴木忠視(松崎町出身)は中国・上海に日本人海外初の写真館を開設。後妻に会津藩家老西郷頼母の妹未遠子を迎えたことも特記に価しよう。

 「陶板写真」に関しても草分けで、自らの骨壺(つぼ)に肖像、履歴を焼き付け、「16年経ても不変色」と高品質を誇った。余談だが、自らの骨壺にこのように記述したことは生命の尊厳となり、意義あることではあるまいか。

 (松崎町建久寺)

 【写説】鈴木真一が描いた依田佐二平の写真油絵=松崎町大沢の旧依田邸