建築直後の稲取灯台(3人は漁協関係者の家族であろうか)。灯塔は漆喰塗りで、屋根の形状が復元後の灯台とは異なっているのがわかる

 ■唯一の「石造・六角形」灯台

 稲取に最初の灯台が設置されたとする記述を「南豆風土誌」に見ることができる。明治25(1892)年に、稲取の漁民代表が、焼津港と白須賀(湖西市)の漁船目標灯台を実見し、帰村後に街灯様の1灯台を設立点灯したとされている。しかし、当時焼津港や白須賀に灯台があったとする記録はなく、白須賀には港がないので、灯台はなかったとのことである。

 明治30年代ごろと思われる時期に、子浦に出漁していた相模の漁師の1人が急病になったため、暗くなってから稲取に緊急入港している。港口に近づいてきた時に、かすかな燈明台の明かりを見つけたので、真っ暗な港に入ることができた。

 港周辺の数カ所には常夜灯があったとされているが、この時に漁師が見た灯りは、漁船目標灯台の明かりであったとしたい。灯台が設置されていた場所は特定できないが、明治22(89)年には船揚げ場の改築を行ったりしているので、この辺りに灯台を設置した可能性はある。

 相模の漁師が下田に行かずに、荒天の中を転覆の危険を冒してまで稲取に来たのは、評判が広まっていた稲取の医者に診察してもらうためであろう。

 戸茂呂(ともろ)岬には、昭和20(1945)年に廃灯になった、稲取灯台が建っている。この灯台は、日本に現存する唯一の「石造・六角形」灯台であり、明治時代に造られた貴重な建造物である。この灯台の明かりを、長年ともし続けていた萩原すげは、日本初の「女性灯台守」である。しかし、ほとんど注目されておらず、再び忘れ去られたようになっている。

 「女性灯台守」で検索すると、米国の女性灯台守アイダ・ルイスを知ることができる。ルイスとすげの注目度と評価には、格段の差があることが分かる。

 【写説】建築直後の稲取灯台(3人は漁協関係者の家族であろうか)。灯塔は漆喰塗りで、屋根の形状が復元後の灯台とは異なっているのがわかる