今から100年ほど前に建設された取水口の裏部分。石積みされた立派な産業遺産だ

 ■ひろせグループIZU・パワー10億円かけ建設 2年後完成へ

 今から100年以上前の明治時代末に発電を開始し、1972(昭和47)年に操業を停止した河津町梨本の梨本(水力)発電所。かつて伊豆南部に電気を送り続けた発電所が、一部施設を再利用するなどして半世紀ぶりによみがえることになった。賀茂地区を中心に葬儀や介護、廃棄物処分や再資源化など幅広い事業を手掛ける下田市のひろせグループの一般社団法人IZU・パワー(広瀬拓意[ひろつぐ]理事長)が約10億円を投入して小水力発電所を建設する。国などの許認可が下り、近く着工する。異業種からの水力発電事業への参入は、全国的にも珍しいという。完成は2020年初夏を目指している。(文、写真 森野宏尚)

 水力発電事業を陣頭指揮してきたIZU・パワーの代表理事、菱沼聖[きよし]さん(76)は「6年間準備してきて、やっと着工できるところまで来た。大滝[おおだる]の水量をはじめとした自然環境の保全など、環境省の許可を取るのが一番大変だった」と振り返り、胸をなで下ろす。

 新発電所の基本理念は、産業遺産ともいうべき梨本発電所の設計(構造)を継承しつつ、老朽化などで発電事業に支障をきたす古い施設は新しくする。そうすることで国立公園第2種特別地域である一帯の自然、環境に大きな負荷を与えないようにする。

 取水口は河津川の大滝真上にある。すぐ上流の出合滝[であいだる]で荻ノ入川が合流し、水量を増した大滝上の堰[せき]で一定量を取水口に導く。その先は右岸側の山中に手掘りで高さ1・4~1・8メートル、幅1・2メートルの導水路トンネルが1・25キロにわたって掘削され、ここを通った水は大鍋地区の高台に出て約80メートルの落差を水圧管で落とし、発電施設内の発電機で発電。発電に使用した水は最終的に河津川に戻す。

 「導水路トンネルの入り口と出口の高度差はわずか1メートル。1キロ余にわたり微妙な勾配を付ける技術が100年も前にあったことに驚く。トンネル内は安山岩や玄武岩で、岩肌がそのまま出ていたり、コンクリートで塗り固めたりしているところもある。一部、剥落なども見られるが、過去の地震などにも耐えて非常に堅固。硬い岩盤では迂[う]回させている」と同法人土木施工管理技士の渡辺研一さん(59)。導水路トンネルは一部補修、基本的にそのまま活用する。

 発電所の心臓部などについて電気主任技術者の鈴木さつきさん(39)は「水量が落ちても発電可能な高効率なターゴインパルス水車と発電機を導入するほか、発電機を設置する建屋(約140平方メートル)を新築し、水圧管(直径85センチ、延長170メートル)や取水口の門扉なども新しくする。古い施設を生かす一方で、最新の設備を導入する。最大発電出力499キロワット、年間可能発電量約3000メガワットアワー。平均的な一般家庭千世帯分の電力使用量に相当する」。加えて「小水力発電は地球温暖化の原因である温室効果ガス(二酸化炭素)の排出量が極めて小さく、環境に優しい」と強調する。

 大滝は河津七滝最大の滝で一大観光名所だ。発電用に川の水を大量に使えば、落水が細り雄大な滝の景観を台無しにする。河川法のガイドラインでは維持流量は毎秒0・08立方メートルだが、同社は過去10年で最少の渇水期の水量、毎秒0・50立方メートル(ガイドラインの6倍強)を最低の景観維持流量に決めた。菱沼さんは「大滝の流量に最も神経を使った。環境省とは何回もすり合わせ、これなら観光業が主体の地元の皆さんに迷惑をかけることもないと思う」と自信をのぞかせた。

 ■地方創生の一助に 教育的活用も視野

 梨本発電所は閉鎖した半世紀ほど前に、河津町が関係する土地や設備などを東京電力から1100万円で買収した。だが、活用されることなく朽ちるに任せていた。

 2011(平成23)年に東日本大震災が発生、原子力発電所に対する国民の不安が沸点に達し、再生可能エネルギーに目が向けられるようになった。国も固定価格買い取り制度を導入するなど普及を進めてきた。

 下田市や賀茂郡を中心に幅広い事業を展開するひろせグループの菱沼聖社長は「かねてから自然エネルギーに関心があったが、伊豆では太陽光や風力は森林伐採や土地造成を伴い問題がある。それに対し山が多く水が豊かな伊豆は水力発電には最適」と考えてきた。そんな時に施設が残る梨本発電所の存在を知った。

 翌年5月には河津町に(1)小水力利用による発電事業(2)バイオマス活用推進事業の2点を提案。さらにIZU・パワーも設立し、「河津町小水力発電事業プラン」「旧梨本発電所再稼働」の実現を目指し町に働き掛けてきた。その一方で経済産業省にも既存施設の利用可能性の検討など水力発電所が実現可能かの新エネルギー等導入促進基礎調査を要請してきた。

 その結果、さきごろ国や県の許可が下り、工作物や土地を町などから一部買収、賃貸借する契約も締結した。国立公園特別地域内の廃止された小水力発電所の再利用では、国内最大規模の整備になるという。

 「発電した電気は東京電力に売電し、売電収益の一部は河津町に寄付したい」と菱沼さん。町に国立公園の維持・管理・活用に関する活動費用として観光協会、稚魚の放流費用として河津川非出資漁業協同組合、地域活性化に資する活動資金として地域団体に助成するよう提案している。

 ひろせグループの会長で、同法人理事長の広瀬拓意さん(86)は「南伊豆地域の新たな再生可能エネルギー源として河津川水力発電所を建設し、地域のエネルギー供給の安定化を図り、1世紀前に建設された施設を一部生かして保全・啓発にも努める。子どもらへの自然環境や自然エネルギーの教育的施設としての活用も考えており、地方創生の一助に貢献できればうれしい」と水力発電事業に期待する。

 ■下田に近代化の灯 明治時代~大正初め、先人が苦労し造る

 IZU・パワーが新設する河津川水力発電所の前身となる梨本発電所は、材木商の奉公人として伊豆をたびたび訪れていた神奈川県厚木市出身の岩崎吉太郎(1865~1935年)が、大滝の水量や落差に着目して水力発電事業を思い立ったのが始まりだ。岩崎はその後、神奈川県でも各所で水力発電事業に取り組み、南伊豆町下賀茂で温泉を掘削、同温泉の生みの親でもあり伊豆にとっては大恩人である。

 岩崎は1897(明治30)年に県から水路工事権を獲得したものの、先進的な事業だったため梨本地区の地元住民の理解が得られず一度は断念。その後、当時の伊東町で発電事業が始まったことも追い風となり、1907(明治40)年に下田町に電気を送ることを目的に南豆電気(株)を興し、下田町長や県議会議員を務めた下田町の石川浅次郎が創立委員長になって10(同43)年、南豆電気を買収して河津川水力電気(株)を創業し発電事業をスタートさせた。賀茂地区に念願だった近代化の灯がともった。石川は初代社長を務めた。

 当初は大滝の滝つぼ下流の右岸に小規模な発電所(発電出力50キロワット)を設け、需要の拡大で新たに導水路トンネルを掘削するなど規模を拡大して15(大正4)年に梨本発電所(最終的に480キロワット)が落成、20(同9)年に第2発電所となる小鍋発電所(同280キロワット)も始動した。電気は下田町、稲生沢村、上河津村などの一般家庭2039灯、街灯62灯に使われた。10燭光(8~10ワット相当)で非常に明るかったが、料金は1カ月60銭で石油ランプよりも高かった(明治末ごろか)。

 大正末期以降は不況で経済が悪化、29(昭和4)年に株式の約半数を東邦電気が肩代わり、実権は東邦に移った。戦時体制への移行後は41(昭和16)年に伊東水力電気、河津川水力電気、伊豆(白田川)水力電気、狩野川水力電気の4社が合併し、伊豆合同電気が発足。同年に電力統制により全国は九つの配電会社に統合され、伊豆合同電気も翌年に関東配電(後の東京電力)に吸収された。

 その後、東京電力グループの東京発電の水力発電所として操業したが、火力や原発など新エネルギーが台頭し、発電効率の低さなどから72(昭和47)年に廃止された。

 ■今でも8カ所稼働 水豊か、山多く落差活用―東京発電・伊豆の発電所

 水が豊かな伊豆地区には、かつて多くの水力発電所があった。現在でも稼働する水力発電所は東京発電が運営する白田川(東伊豆町)、仁科川第一、同第二、同第三(いずれも西伊豆町)、湯ケ島、向原、落合楼、梅木(いずれも伊豆市)の8カ所。

 認可最大出力は白田川の2900キロワットで、湯ケ島の2000キロワットを除き、いずれも1000キロワット以下と小規模だ。稼働中で伊豆最古となるのは梅木発電所で、1911(明治44)年12月に発電を開始して以来106年目の今も運転し続けている。

 このほか東日本大震災後に稼働した、自治体などが運営する小水力発電所がいくつかある。伊東市鎌田の大川浄水場内には地域発電推進機構が整備し、最大出力186キロワットの施設があり、売電収入は同機構、市には賃料が入る。同市の奥野ダムには管理用電力に使い、余った分を売電する県の管理用小水力発電(最大出力120キロワット)。さらに東伊豆町奈良本、河津町上佐ケ野や梨本、函南町や沼津市戸田には民間会社が整備、運営する小施設もある。

 既に廃止になったものの、伊豆地区で最初の水力発電施設は1894(明治28)年に熱海市の丹那トンネル口に設けられた熱海水力発電所。県内初、全国でも8番目の早さだった。伊東には遅れること10年余、1905(明治38)年に伊東大川(松川)支流の寺田川に小川沢発電所が整備され、需要の高まりで3年後には本流に八代田発電所、さらに旧中伊豆町の徳永川にも冷川発電所が建設され、伊東まで送電した。

 このほかにも稲取、松崎、伊豆市八幡(大見川発電所)、函南町など各地に多くの水力発電所が造られ、地域の近代化に貢献した。

 【写説】今から100年ほど前に建設された取水口の裏部分。石積みされた立派な産業遺産だ

 【写説】発電機などが入っていた旧建屋。最新の発電機などともに新しく建て替えられる

 【写説】河津川の大滝の真上にある堰と取水口。すぐ上流は出合滝。ここから水を取り入れ、トンネルで発電所まで導水する

 【写説】トンネルで運んできた水を有効落差約80メートルの山の上から直径76センチの水圧管(パイプ)で落とし水車と発電機を回す。パイプは新しくする

 【写説】100年以上前に1・25キロにわたって掘られた導水路トンネルの内部。手掘りの跡などがよく分かる

 【図表】河津川水力発電所の施設配置図