一般車は進入できないゲートの少し奥にある巨岩。沢が横にあり巨岩の上に別の岩が乗り、樹木も生えて霊が宿る雰囲気もある

 ■山と人々=旧下田街道 天城越えの代替ルート 植生豊か、ジオも魅力

 伊豆半島の中央にそびえ立ち、南北交通の大きな妨げになってきた天城山(峠)。中伊豆と南伊豆両地区の交流をびょうぶのように隔てる一方で、特に奥(南)伊豆の人々は、何度も峠道を付け替えるなどして往来の陸路を確保してきた。

 自動車道が完成前の下田街道は二本杉峠(旧天城峠、伊豆市湯ケ島)―宗太郎園地(河津町梨本)を結び、幕末には著名人が多く通行した。だが2013(平成25)年の台風で崩れ、通行止めになっている。復旧が望まれるが開通の見通しはなく、そこで代替の天城越えルートを探りながら沼ノ川古道―二本杉峠を歩いた。紅葉も良さそうだ。

 天城越えの分かっている最も古い道は、中世前後からの古峠[ふるとうげ]越えで、徐々に中険[ちゅうけん](間)業峠[ぎょうとうげ]、二本杉峠と西側に移った。二本杉峠越えルートは当初、北側の中険業道と南側の沼ノ川古道があったが、回り道だったため1819年、梨本の板垣仙蔵が自費で造成した。これが旧下田街道だ。山中に茶屋もあった。

 「それ以前は沼ノ川古道が天城越えの中心的な道で、西伊豆方面にも抜けられた。ルート上に石造物が多くあることも裏付けで、沢沿いの旧下田街道は度々被害を受け、通行止めになると沼ノ川が代替道になった」と地元の歴史に詳しく元営林署勤務の稲葉修三郎さん(93)=河津町梨本=は解説する。

 河津七滝[ななだる]の町営駐車場―二本杉峠は所要時間3時間20分、大川端へ下っても約4時間。透明度が高い荻ノ入川[おぎのいりかわ]の渓流沿い林道は、植生が豊富でジオパーク的にも魅力的だ。稲葉さんは「荻ノ入川や本谷川では昔、川ノリが採れた。昭和40年代の国道バイパス(現414号)整備で本谷川に泥が流れ込み絶えた。大きな弁当箱にいっぱい採り、あぶって食べるとおいしかった」と振り返った。

 松崎新港―修善寺温泉の約72キロを走破する「伊豆トレイルジャーニー」は諸坪峠―黄金橋[こがねばし]―二本杉峠―伊豆山稜線歩道を北上。「トレイルランは登山ルートの林道分岐を通り越し、旧下田街道を上がる。黄金橋からはコースが一部重なるため、急坂を登る選手の大変さが味わえる」と登山仲間の源久政男さん(79)=伊東市宇佐美=はいう。

 ルートを少し外れるが、韮山反射炉に使われた耐火レンガの白土を採取、焼いた河津町史跡「煉瓦[れんが]の洞[ほら]遺跡」も見学可能だ。「私の4代前の少年猟師が白土を探していた江川坦庵にその場所を教え、お礼に鉄砲鍛冶になる道筋を付けてくれた。レンガは湯ケ野生まれの板垣助四郎が焼き、高温に耐える重要な部分に使われた」と稲葉さん。レンガ事業の繁栄を願い造営された山神社も近くにある。

 ■登山記=石造物多い歴史道 巨岩や巨木、美しい渓流

 河津町営の七滝観光センター駐車場に車を止め、右手側の初景橋を渡り荻ノ入、沼ノ川方面へ。この道沿いには石仏や石塔など石造物が多くある。

 立派な「六字名号塔」は地元の人が「とうぶつさん」と呼び、祈るとおできなどが治るらしい。馬頭観音や17基の古い墓石、前之川橋を渡ると左手に山神社、民家入り口にはこけむす供養塔、その先に古い庚申塔[こうしんとう]、大日如来や新しい石像がある。多くは江戸時代中期の建立だ。

 キャンプ場に到着、稲葉修三郎さんは「ここに昔、橋が架かり対岸上流に古道があった。明治時代に沼ノ川を開発した落合金次郎氏(神奈川県出身)が起伏があって材木搬出が難儀だったため、自費で現在の道を整備した」。カーブ手前に古い地蔵などが5体あり、石塔には1789年と刻まれる。「元々古道側にあったものを移設した」という。

 荻ノ入川沿いの崖で見事な柱状節理を観察でき、その先の第2キャンプ場の道沿いには「原氏之碑」と地蔵がある。稲葉さんは「一帯にはモミ、ツガなどの巨木が多く、落合氏の後を継いだ大倉財閥が水車を動力に製材工場を3カ所造った。その一つが落成の日に動かしたら爆発、設計者の原さんが亡くなり建てた」と説明した。

 沼之川橋を渡ると国有林。その先には元営林署の合宿所があった。橋を渡り「煉瓦の洞遺跡」には行かず林道を直進すると、一般車は通行止めの森林管理署のゲートがある。

 すぐ先の右手に巨岩が鎮座、大きさや形のほか、岩塊が乗り樹木も生え霊が宿っていそうな雰囲気がある。わずかで低い位置から幹が5本に分かれたシイの巨木が目を引き、幹回りは5メートル超ほどか。落差が数段ある名もなき滝が林道から見え、涼気を感じる。この辺りの杉並木が立派で、宗太郎園地にも負けない美林である。

 黄金橋を右折し二本杉林道を二本杉峠方面へ。本来の古道は川の対岸だ。直進すると諸坪峠で、西伊豆町白川や松崎町池代に抜けられる。林道を上がり、ワサビ沢上方左奥のこんもりした岩塊の上に山の神が祭られ、上流側は冬場に水が枯れるため名付けられた水涸[みずなし]。二本杉橋少し上のカーブを林道から分岐、山道に入る。「二本杉へ2キロ」の小標識がある。

 途中、かなり荒れている箇所もあるが、道に迷わないよう慎重に進み、わずかで二本杉峠。帰路は来た道を引き返してもよいが、30分余下れば大川端に出る。旧キャンプ場入り口がバス停で、路線バスを利用し町営七滝駐車場まで戻るのがお薦めだ。

 ■ジオ解説=海底火山の地層分布 凝灰岩に貝化石 沼ノ川火山の溶岩流も

 二本杉峠は、過去何度も付け変わった「天城越え」ルートの一つである。現在の天城峠を含めて天城越えの峠は、天城火山よりも古い時代、伊豆が海底火山だった頃の地層が分布する地域だ。

 地質学で言う天城火山は天城越えの峠よりも東側に広がっている。地名としての天城と、地質学的な天城火山は一致していない。もちろん、地名としての天城が先にあって、天城火山の名称はそこから名前を借りている。

 河津七滝から荻ノ入川、沼ノ川を経て二本杉峠に至る道(沼ノ川古道)も、基本的には海底火山の地層が分布する場所だ。海底に降り積もった火山灰の地層(凝灰岩)や、海底を流れた乱泥流の堆積物(タービダイト)が、深く刻まれた谷の中に巨岩として露出している。

 凝灰岩の中には貝化石が産出する場所もある。凝灰岩の一部は、高温の温泉水などの影響で強く変質して粘土化していることもある。河津町指定有形文化財の「煉瓦の洞遺跡」で、レンガ生産に利用されていた粘土は変質帯で産出したものとみられる。

 今回のルートのほとんどはこのような海底火山の名残であるが、この地域は伊豆東部火山群分布域の南西端にも位置しており、ルート沿いでもその証拠を確認できる。荻ノ入川沿いの第2キャンプ場下流側で見られる柱状節理は、約5万年前の沼ノ川火山の溶岩流である。

 沼ノ川火山は長さ2キロ以上に及ぶ火山列で、かつては荻ノ入川沿いに火山列から流れ出した溶岩が連続的に露出していたと思われる。柱状節理の少し下流にあるえん堤には大量の土砂が堆積しているが、荻ノ入川を流れた土砂がこの溶岩の大部分を隠してしまったようだ。

(伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員・鈴木雄介)

 【写説】一般車は進入できないゲートの少し奥にある巨岩。沢が横にあり巨岩の上に別の岩が乗り、樹木も生えて霊が宿る雰囲気もある

 【写説】幹が5本に分かれた巨大なシイの木。幹回りは5メートル超はありそう。荻ノ入川の渓流沿い

 【写説】岩塊に根を張った巨木の中の岩の上に、小さ山の神が祭られている。黄金橋を登ったワサビ田の少し左手奥

 【写説】荻ノ入川沿いに見られる美しい柱状節理。昔は沼ノ川に向かう古道が対岸のこの崖の上を通っていたという

 【写説】韮山反射炉の高温になる特に重要な部分のレンガを焼いた「煉瓦の洞遺跡」