塔の平にある石造物3体。左端は大蛇にのまれた甲州の猟師を供養する甲人の塔。以前は草原で見晴らしが良かったが、今は樹木に覆われる

 ■山と人々=巨岩上に石造物3体 1つは大蛇にのまれた供養塔

 伊豆の南端、南伊豆町の最高峰である馬夫石は、地元の誰に聞いても「そんな山は知らない」という。最新の地図に山名は載らないが、少し前は表記され、2等三角点で登山愛好者には知られている。古代史が専門で地元の歴史にも詳しい下田市横川出身の静岡大名誉教授・原秀三郎さん(84)は周囲に鉱山が多いため「坑道の間分(歩)から来ているのではないか」と説く。

 下田市と南伊豆町の境界尾根(標高500メートル前後)で、古道が通っていた。同市加増野の井出光顕(85)・美保子さん(84)夫妻は「昔はこの道を使って嫁に来たり、行ったものだ。青野のお大師さんにも行った」。

 馬夫石山頂は尾根から若干南伊豆町側に入り、木が茂り眺望は開けない。4、5分歩けば隣の東側尾根奥に石仏3体がある。江戸~大正時代ごろ?のもので、南伊豆町青野へ抜ける青野道が通り、石仏の一つには「青野村〇〇」の寄進者名もある。高さ50センチ以下で傷みが激しい。

 塔の平は同じ尾根の東側にある。旧加増野小の校歌に登場し、文字通り「石塔がある平らな草地」で、昔は遠足地や子どもらの遊び場だった。だが今、昔の面影はない。「10畳ほどの平らな巨岩の上には石造物が3体あり、手石や下賀茂温泉の湯煙も見えた。子どもの頃、よく遊びに行った」と南伊豆町一条の吉田明さん(86)。山頂はウバメガシやツゲ、カシ類の低木林に変わり、全く眺望が利かない。下田側は旧下田カントリーで、メガソーラー発電所を建設中。周辺に鉄塔も整備される。

 旧加増野小の校舎を活用し手作りそばなどを提供するポーレポーレの富永則子さん(58)は「昔、お年寄りの多くが遠足で訪れ、草スキーやそり遊びをした思い出があり、5年前にポーレポーレ主催で地域を知る古道探索で行って来た」。変貌ぶりに驚いた人もあったろう。

 山中の石造物は右から聖観音菩薩像、納経塔、二重の塔(甲人の塔)で高さ50~70センチ。南伊豆町史会の渡辺守男会長(79)は「1151年、甲州の猟師(絹商人とも)がここで大蛇にのまれ、甲人の塔はその供養塔だと江戸時代の地誌・豆州志稿に載る。2年前、甲人の塔であることを確認した。元は三重か五重の塔?、宝筐印塔[ほうきょいんとう]の可能性もある」。他の石造は江戸~明治時代の建立か。

 この付近を加増野―一条の古道が通り、一直線の山越えのため近かった。一条の山本剛さん(78)は「昔は製糸工場をやり多い時は女工さんが30人いた。加増野の人たちが繭を背負い、運んできたと聞いている」と往時の様子を語った。

 ■登山記=南伊豆―下田結んだ古道 昔の交通要衝、今は…

 馬夫石と塔の平の尾根には、下田市加増野―南伊豆町一条や青野、毛倉野などとを結ぶ山越えの古道が通っていたが、自動車道の開通で歩く人はいなくなった。ただ林道など入山ルートは多い。

 松崎町八木山からは車で尾根まで行ける。蛇石峠を通る県道南伊豆松崎線から高野山[たかのさん]方面に入り、途中を同山には行かず直進。その先の分岐を左へ。行き止まりに車を止めるか、手前を左手に入れば200メートルほどで三方[さんぽう](昔と場所が若干異なる)と呼ばれる3方向の道が交わる峠だ。

 ここから歩きで、林の中にある尾根道か林道を右手に行く。尾根道は古道で、今は東京電力の鉄塔管理道として使用。約40分で馬夫石(南側は東京大樹芸研究所の演習林)、さらに30分で塔の平。塔の平から尾根道を東進すれば観音温泉へ。塔の平や馬夫石付近は林道が尾根道近くを通るが、三方に続く林道とは別ルートで特に帰路は要注意だ。

 南伊豆町一条からは竹の子村付近の日枝神社から分岐して山道に入り、狭い林道を行き止まりへ。途中の分岐では人家がある辺りは左、その先と最奥部(橋付近)は直進。この道は4輪駆動車でなければ無理か。車を降りたらブルドーザーで表土や樹木を押しただけの、今は荒れた道を尾根まで登る。尾根道に出たら右手が塔の平、左手が馬夫石。比較的短時間で行ける。

 下田市加増野からは県道下田松崎線の旧下田カントリー入り口先の富田橋手前を左に入り、人家の最奥部で左折道が連続し、最初を分岐する。林道を登ると再び分岐が現れ、右に進むと行き止まりが旧猪戸[ししど]鉱山だ。車を置き、山道を歩き出すとわずかで左手の沢を渡る。ブルドーザーで押した草ぼうぼうの道が続き、ひたすら登ると尾根の三方に出る。

 最奥部に住む土屋忠男さん(77)は「猪戸鉱山は伊東の旅館・旧猪戸館が始めた。江戸時代に採掘した金銀の鉱山もある。家の前の中道を直進すれば小杉原、奥の左折分岐は岩科道へ。最初のカーブ下に歯痛の神様の桜地蔵など石造物が並び、ここから時代の違う寛永通宝が3枚出た」。昔の交通要衝も今は通る人がない。

 南伊豆側の鉱山について下田市史編さん室の高橋広明さん(70)は「50年ほど前、一条や青野の鉱山跡からカドミウムが流れ出す汚染騒動があった」と記憶をたどった。

 尾根へのルートは他にもあるが道はなく、一帯は迷いやすいため注意が必要だ。秋の日はつるべ落とし、早めの帰路を勧める。

 ■ジオ解説=周辺に多くの鉱山跡 「馬夫石」由来は間分、馬方?

 馬夫石や塔の平周辺には、伊豆が南の海にあった海底火山や火山島だった頃にできた地層が分布している。ルート沿いでも、海底を流れた土石流や溶岩流がつくるゴツゴツとした岩が折り重なる。こうした岩の一部は黄色や赤味を帯びていることもある。熱水変質という作用でついた色だ。

 火山の地下では、熱せられた地下水や、マグマから染み出した熱水(超高温の水)が周囲の岩石と化学反応を起こす。熱水に溶け込んだ金属が、熱水の温度の低下や圧力の減少に伴って岩石の隙間に沈殿することがある。こうしてできた、役に立つ資源が集まった場所を「熱水鉱床」といい、さまざまな金属を産する鉱山として利用されてきた。

 伊豆は数千万年に及ぶ長い火山活動の末にできた半島で、衝突に伴う隆起と浸食によって古い火山の内部が地表に現れていることもあり、熱水鉱床を利用する場として盛んに鉱山開発が行われてきた。坑道が見学できるように整備された土肥金山が有名だが、実は無数に鉱山跡がある。今回のルート周辺にもいくつかの鉱山跡がある。鉱山跡は私有地であることが多く、坑道や関連施設などは危険なため、立ち入らないようにしてほしい。

 ところで、馬夫石という地名の由来ははっきりとは分かっていないという。鉱山の坑道を示す間分なのか、古い街道筋にあたることから馬を扱う馬方を示す馬夫なのか、興味深い。

 地名は土地や、地域の生活・産業の履歴を反映していることもあり、ジオパークの話題としても興味が尽きない。日本各地で起こっている災害と地名の関係に関する話を耳にした方も多いのではないだろうか。自然の風景や歴史的な景観とともに、古くからの地名もまた大切にしていきたい地域の資源である。

(伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員・鈴木雄介)

 【写説】塔の平にある石造物3体。左端は大蛇にのまれた甲州の猟師を供養する甲人の塔。以前は草原で見晴らしが良かったが、今は樹木に覆われる

 【写説】山中の10畳ほどの平らな岩の上に3体の石造物が安置。反対側は高さ3~4メートルもある巨岩だ

 【写説】馬夫石に隣接する東の尾根にある石仏3体。傷みが激しく右端の像は頭が新しい

 【写説】土屋さんが指さす歯痛の神様・桜地蔵。昔は交通の要衝だった人家最奥の猪戸鉱山登り口=下田市加増野

 【写説】標高545メートル、2等三角点の馬夫石山頂=南伊豆町青野