1.崖には“しましまの世界”が広がる千畳敷。天気が良い日は青い海とのコントラストが素晴らしく、いつまでいても飽きない

 ■山と人々=ジオ集約「宇宙一の景色」 “しましま世界”へようこそ

 4月に始まった静岡県を集中的にPRするデスティネーションキャンペーンのテレビCMで、女優の吉永小百合さんが伊豆半島ジオパークのジオサイトを紹介している。その中に登場する南伊豆町入間の千畳敷は、吉永さん効果で訪れる人が増加中という。入間の集落から直線距離で約1・3キロ離れている海岸線にあり、昔、建築材として岩を切り出した。

 千畳敷は特に晴れた日に行くと紺碧[こんぺき]の海と白い岩などのコントラストが見事。現地に行く途中に出会った女性は「宇宙一の景色」と絶賛した。ちょっとオーバーかも知れないが、水の豊かな未知の小惑星に迷い込んだような雰囲気もある。

 一帯は海底火山の火山灰堆積層などが隆起、地層が重なり合った岩石や崖があちこちで見られ、“しましま模様”の不思議な空間をつくり出す。最近、人気の土産「ジオ菓子」の世界である。

 集落で話を聞くと「江戸時代、石を切り出し東京の浅草などに送った」という人や、同地区最長老の外岡代治さん(97)は「海外で財を成し、千畳敷から切り出した岩を石垣に使っている家が1軒だけある。黄色っぽく見えるのが特徴」。

 入間地区は防風や砂防のため海側を石垣で囲い、ビャクシンを植えている家もある。だが「大正13(1924)年には西風にあおられ、集落の70%ほどを焼く大火があった。今の海蔵寺の場所は大池(字名も)で、そこから流れる川の南側が焼けた」と外岡さん。また息子の精治郎さん(68)は「火事の後、焼け跡を平地にし、1軒100坪ずつ分け新たな屋敷にした」。

 精治郎さんらによれば土着の人々はいたものの、平安時代に藤原一族の加美氏が流れ着き、三島神社を祭り発展。周囲には末社の龍宮、津島、弁天、住吉の4社(今は一部を合祀[ごうし])がある。3兄弟だったため隣接する中木と差田に弟を住まわせて入間を守り、加美氏は後に外岡姓に改名した。中木や差田[さしだ]の地番は入間〇〇番地で、昔からの中心的な集落。現在、約60戸が暮らす。

 半農半漁だが主体は農業で、昭和30年代からは温暖な気候を生かし花栽培をしたが、今は荒廃した畑が目立つ。家屋が土壁の時代は女竹[めだけ]も主な産物だった。田んぼは差田や吉祥[きちじょう]にあるという。40年代には民宿ブームが訪れたが、今はお年寄りが目立つ寒村の風情である。中木はヒリゾ浜で脚光を浴びるが、入間も千畳敷で後に続きたい。

 ■登山記=ニール号慰霊塔やお多福寺 富戸ノ浜に無名の滝

 南伊豆の海岸線を千畳敷や吉田まで歩き、沿岸部の心洗われる絶景が楽しめるが、難点は周遊できないことだ。複数人で歩き、車を2台用意できる人は入間と吉田に1台ずつ置けば効率的に戻って来られる。車が1台やバス利用の人は、千畳敷や富戸ノ浜で折り返しがお薦め。

 県道下田石廊松崎線から入間の集落に下り、海底火山の痕跡であるしま模様の崖の先から人家が始まる。この崖裏が臨済宗の古刹[こさつ]・海蔵寺。フランスの郵船「ニール号」が座礁して31体を葬る慰霊塔やお多福さんの像などがある。歩く前にお参りしたい。

 ニール号は1874(明治7)年、横浜港に向かう途中、入間沖の三ツ石で強風と高波で座礁、沈没した。オーストリアの首都ウィーンで開催された第1回万国博覧会に日本から出品した展示品を積んでいた。乗船者90人中、生存者はわずか4人、行方不明者は55人を数える。村人が遺体を手厚く葬り、フランス大使館が2年後、慰霊塔を建立した。

 お多福さんは山門入り口に大きな像、境内に小像が50体ある。中木で大きな被害が出た伊豆半島沖地震の前年に就任した20代・秀森弘文住職(85)が「お多福さんにほれ込み」祭り、福を招く「お多福寺」の愛称で親しまれる。多くの仏像があり「厨子[ずし]に入り顔がよく見えなかった平安時代の十一面観音を外に出し4月から公開。毎月10日前後に座禅の心経会も行う。自由に参加を」と呼び掛ける。

 浜の駐車場は夏季以外は無料。本数は少ないが路線バスもある。県などが整備した南伊豆歩道の案内板には千畳敷入り口まで30分とあるが、一般人の足ではとても着かない。

 港の魚供養塔先の船揚げ場を右へ。左側の急階段を上がれば豊漁の神様の龍宮山(神社)、崖の穴の中に祠[ほこら]がある。わずかで車道(集落外れにゲート、通行止め)に出たら終点から急斜面を15~20分下れば千畳敷。海底火山の痕跡などジオパークを凝縮した世界が待っている。

 下るとマグマの通り道が蛇のように見える崖がある。ここでジオを堪能するのも良いが、足に自信のある人は富戸ノ浜や吉田を目指したい。ただこの先は意外とアップダウンがきつい。「富戸ノ浜には名もなき小滝や流木の墓場があり、吉田までの海岸線は北海道の知床のようだ」と伊豆トレッキングクラブ代表の源久政男さん(80)は言う。

 ■ジオ解説=必見のジオサイト 半島土台つくった海底火山

 伊豆最南端の石廊崎から西側に回り込んだ半島南西部の海岸は、いくつかの港を除くと高い崖が海に迫る険しい海岸地形である。遊覧船でその一部を垣間見ることはできるが、歩いてダイナミックな姿を見に行くことはなかなか難しい。

 千畳敷はそうした場所に歩いて行ける数少ない場所だ。林道から千畳敷へ急な坂道を一気に海面近くまで下り急な崖にある細い道を進むと、突然目の前に広々とした海食台が広がる。足元や崖は複雑なしま模様が刻まれた一面の岩場、崖に時折現れる、しま模様を断ち切る黒い岩石も目を引く。

 海食台の一部には伊豆石(伊豆軟石)が切り出された跡が残っている。伊豆石は、伊豆半島が海底火山や火山島だった頃に海底に降り積もった火山灰などからなる凝灰岩。眼前に広がる景色は太古の火山活動の活発な活動の記憶なのだ。

 千畳敷を進むと正面には三ツ石岬が見えてくる。真っ白な凝灰岩を押し分け空に向かって伸びるかのような黒い岩の筋が印象的だ。凝灰岩を断ち切る黒い岩は、地下から上昇してきたマグマが凝灰岩のもとになった火山灰を押し分けながら移動していった痕跡で、「岩脈」と言う。

 目が慣れてくると多数の岩脈が凝灰岩の地層を断ち切っている様子に気付く。千畳敷で見られる岩脈は、海底に固まったマグマが、まだ柔らかい状態でたまっていた火山灰の中に入り込んできたため、折れ曲がったり途中で膨らんだりと、不規則な形状をしているものも多い。

 帰り道、急坂に入る前に左上の崖に目をやると、まるで蛇が身をくねらせているようにも見える細い岩脈が別れを告げてくれる。伊豆半島の土台をつくり出した海底火山の活動を物語る、伊豆半島ジオパークの必見サイトの一つである。

(伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員・鈴木雄介)

 【写説】崖には“しましまの世界”が広がる千畳敷。天気が良い日は青い海とのコントラストが素晴らしく、いつまでいても飽きない

 【写説】明治時代の海難で乗組員90人中、4人しか助からなかったフランス「ニール号」の遭難者慰霊塔=南伊豆町入間の海蔵寺

 【写説】周囲から隔絶された富戸ノ浜にある名もなき滝。浜は、ごみや流木が目立つ

 【写説】富戸ノ浜から吉田に向かう途中の南伊豆歩道から望む三ツ石岬方面。北海道の知床とも似るーとの声も

 【写説】高さ30センチほどのお多福さん50体が境内に安置され、お多福寺の愛称がある海蔵寺