第1図(白8三玉まで)第2図(黒7五桂打まで)

 ■石田豪成(第5期・12期伊豆名人) □原芳久 自戦記/石田 豪成

 ・棋譜は生きている

 令和に改元されても、記憶から消えない昭和、平成の局面が幾つかある。私のメモは残念譜と悔恨譜の連続で、会心譜は全くない。

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 本譜もその一つで、対戦相手は第5期、第12期伊豆名人の原芳久さんである。

 第1図は7三にいた後手玉に先手■6三金と攻めの拠点を作ったのに対し、後手□8三玉と体を交わして飛車交換を強要してきたところである。■6三金□同玉■8二龍と後手の飛車をいただける虫の良い推移は夢のまた夢である。実戦では手拍子に■8二龍と指してしまった。これは後手の望むところで、先手の大悪手だった。戦い終わって調べてみると、■7五桂打と■7二銀打があったことに気がついた。

 ■7五桂打(第2図)には□同金と□9三玉が考えられる。□同金ならば■8四銀打□同玉■8二龍□8三歩、ここで先手は■7五歩と後手の金を取り返して必勝だ。■7五桂打に□9三玉と交わすならば、■8二龍□同玉■8三飛□9二玉に■7二金と迫って勝ちだ。次に、次善手と思われる■7二銀打に□9三玉ならば■8三歩□9二飛■9五歩と玉頭を攻めて十分だ。

 このような局後の検討は「死んだ子の年を数えるようなものだ」と喝破したお人がいる。一面の真理ではあるが、棋譜は生きている。

下田の故中邑常誠さん

 40年昔のことである。私は秋田の能代市で数日を過ごしていた。近くに将棋好きのお人がいると聞いて訪ねてみた。そのお人は快く私の相手をしてくれた。一局を終えると、

 「下田の中邑常誠を知っていますか」

と意気込んで尋ねてきた。

 「知っています。よく知っています」

私は声を弾ませて答えた。

 「あれは、私の兄ですよ」

 そのお人は自慢の兄であることを、満面の笑みで表現した。私はこの奇遇に絶句した。

 新幹線がまだなかった時代に、中邑さんは下田から静岡大会に必ず参加していた。そして何回か県のアマ名人位に就いていた。現在の下田将棋界の隆盛を、きっと喜んでおられることだろう。

 【図版】第1図(白8三玉まで)

 【図版】第2図(黒7五桂打まで)