戦中戦後の写真を見る山本さん=西伊豆町中

 ■「悲惨さ、忘れないで」 

 きょう15日は「終戦の日」。日本の国内外で民間人も含め、多くの犠牲者を出した戦争の終結から73年を迎える。記憶が薄らいでいく中、西伊豆町に住む戦争体験者に、改めて戦争の怖さ、悲惨さを語ってもらった。

 今でもふとしたときに戦中、戦後のことを思い出すという山本倭子さん(85)=中=は「戦争は絶対にいけない。『時代が変わった』で済ませないで、戦争の悲惨さを忘れないでほしい」と思いを語る。

 1932(昭和7)年に松崎町に生まれ、両親と3人の弟の6人で暮らしていた。終戦当時は現在の松崎小と同じ場所にあった国民学校の高等科1年だった。73年前の8月15日、帰宅途中に兵隊が泣いているのを見かけた。「どうして泣いているの」と声を掛けると「日本は戦争に負けたよ」と告げられた。学校では日本が勝っていると教えられていたので、大きなショックを受けた。同時に「もっと自由に、食べたいものが食べられるようになるかな」と安堵(あんど)したという。

 期待は外れ、戦後も暮らしは良くならなかった。飢えることはなかったが、満足な食事はとれなかった。あるとき母親が、父親が海水から作った塩と自身の大切な花嫁衣装を持ち、埼玉県の農家へ出掛けた。目的は米と交換してもらう「物交」だった。米を手に松崎の港に着くと、警察に見つかり物交品として没収されてしまったという。「母は私たち子どものために大切な衣装を交換したのだろう。当時の母の心境を考えると…」と言葉を詰まらせた。

 戦中には学校の校庭で、機銃掃射に襲われたこともあった。教員に強く手を引かれ、間一髪で防空壕(ごう)に逃げ込んだ。

 そんな恐ろしい経験をしながらも「戦中は戦争に対する不満や疑問はなかった」という。戦後になり、母の弟がシベリアで抑留中に亡くなったとの知らせが届いた時、戦争への憎しみを抱いた。遺骨はなく、死亡を知らせるたった一枚の紙切れが叔父が死んだことを告げていた。「もっと早く戦争が終わっていれば死ななくて済んだ」と考えると、憎しみやむなしさ、悲しみが募った。

 今でも寝る前などに、戦中戦後のことが頭をよぎる。7年ほど前、国民学校時代の級友の名前をノートに書き出した。理由は分からない。「やっぱりあの当時のことが忘れられないのかな」

 戦後、73年。現在通っているデイサービス施設と協力し、小学校などで戦争の体験を伝えている。「戦争は絶対にしてはいけない。いじめも戦争と同じ。強い人が弱い人をいじめるような“戦争”は絶対にだめだよ」と子どもたちに優しく訴える。

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