小野東人を祭る小野塚。下の石塔は約40年前の道路拡幅で移設されたとみられる=南伊豆町下小野

 南伊豆町上小野で奈良時代の貴族に関する史跡を巡り、歴史を守るか、インフラ整備か、住民の意見が揺れている。道路改良に伴い、集落名の由来でもある「小野塚」(通称・小町塚)が移転を求められたため。事業者の県は住民の判断を尊重し工事実施を決めるとしている。

 小野塚は集落名の由来となった流刑貴族・小野東人(おののあずまびと)を祭る。江戸期の資料に塚が現れるがそれ以前は不明だ。

 塚の下は小町橋を渡って県道下田南伊豆線が南北に走り、現在は塚を避けるように東に湾曲する。県下田土木事務所は道路を直線に付け替える案を示している。塚を崩し西側に新橋を架けるという。

 橋と県道は上小野の集落にアクセスする4本の一つで、路線バスが通り役場など町の中心への最短ルートとなる重要な道。小町橋は築51年だが同事務所は「検査しておらず老朽化しているか分からない」とする。

 住民からは直線化だけなら工事は不要との声が多い。小島治哉区長は役員会などでどちらを選ぶか検討を重ねている。特に橋を重視し「仮に塚を残し現在地で橋を架け替えると長期間不通になる。専門家に依頼し史跡の価値を区民と話し合い決めたい」と語る。

 区では塚の歴史を検証しようと郷土史グループ南史会に調査を依頼。1月下旬には区長以下数人が、塚を覆い隠す低木や竹を伐採し整備をした。小島区長は「南伊豆でこれだけの人物の史跡はなく個人的には残したい。塚は集落入り口の高台でシンボルにもなる」と思いを語る。南史会の渡辺守男会長は「東人が住んだのは塚と別の場所だが、ここに塚がある意味が何かあるのだろう」と推測する。

 工事は青野川の河川改修に伴い浮上した。同事務所は「住民判断を待つ段階で何も決まっていない。(現在地掛け替えで)不通になるかは分からない。期限も決めていない」とした。工事期間は「(一般的に)橋の架け替えは1年よりもっとかかる」という。

 小野東人 生年不詳で小野妹子の子孫とする説がある。藤原広嗣の乱(740年)で伊豆に流され南伊豆町上小野周辺に居着いたとされる。

 流刑中に東人の娘が「浮草をかきわけ見れば底の月 ここに有とは誰か知らなん」の歌を朝廷に詠進。娘が「東小町」の称号を受け流刑も許された、と豆州志稿にある。

 橘奈良麻呂の乱(757年)に連座し同年獄死。最高官位・官職は従五位上・備前守。勅撰史書「続日本紀」に名が残り伊豆へ流された記録もある。

 【写説】小野東人を祭る小野塚。下の石塔は約40年前の道路拡幅で移設されたとみられる=南伊豆町下小野