1.石廊富士の山頂には江戸時代、浅間社があったという。瓦のかけらや基礎石の残骸などが名残を伝える

 ■山と人々=伊豆に9の小型富士 4月1日開業休憩棟などジオビジターセンターも―信仰の山

 伊豆半島最南端の南伊豆町石廊崎は、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に長津呂[ながつろ]と記される。測候所や灯台は早くにできたものの人が訪れることはほとんどなく、昭和20年代半ば太平洋に突き出た断崖絶壁の灯台と奇岩景勝が「日本の観光地100選」に選ばれ、一躍脚光を浴びた。

 「1955(昭和30)年、町村合併を機に石廊崎に地名変更し、新婚旅行客らが熱海に宿泊、バスで石廊崎に押し掛けるようになり、50~60年前は年間100万人が訪れた」と石廊崎区事務長の小沢正雄さん(69)。浜からロープウエー計画もあったが、地元の理解が得られず、69(同48)年に県道側を入り口に熱帯植物園の石廊崎ジャングルパークが開園。だが来園客の激減、施設の老朽化で16年前に閉園した。

 長く放置された跡地問題の解決を経て町が土地買収費なども含め約10億円かけ、軽食を提供する休憩棟や駐車場(普通車100台=利用料金500円=、バス10台=800円)を整備、4月1日に「石廊崎オーシャンパーク」としてオープンする。中に伊豆半島ジオパークのビジターセンターが設けられ、普段立ち入り禁止の場所へもジオガイドが有料で案内する方針だ。

 小沢さんは「地域活性化が最大の目的で、石廊崎区や町観光協会が運営する。ジオパーク世界認定で遊覧船の駐車場は昨春以降、バスが400台ほど増えた。ジオを目玉に石廊崎が再びにぎわうのを願う」と期待する。

 背後地にそびえるのが美しい三角形の石廊富士だ。富士山信仰を研究する奈良教育大の非常勤講師・荻野裕子さん(51)=京都府=によると伊豆半島には下田、雲見(松崎町)、大室山(伊東市)、石廊崎、下小野、寺ノ段(南伊豆町)、宗光寺(伊豆の国市)、小下田、牧ノ郷(伊豆市)に富士山信仰の小型富士がある。

 石廊富士は漁師が石廊崎に帰る目標にし、和船時代には石廊崎の細長い湾に強風を避ける廻船[かいせん]が目印にしていたか?『豆州志稿』には『富士山 高サ十八町形チヲ以テ名ヅク』『浅間 村ノ西北富士山ト云ニアリ』と記され、江戸時代に山容から富士山と呼ばれていたことが分かる」「江戸時代の古地図は本家の富士山と同様、山頂を三峰に描き、『浅間宮』の文字が添えられる。三峰に描く手法や信仰が地方に及ぶことを確認できる点でも貴重」と解説した。

 石廊崎漁港東側の鍋浦山山頂に白水城跡(登る途中にある白水の湧く井戸から命名、現在枯渇)があり、これらを巡る長津呂歩道・城山コースの一部が落石などで通行止めになっているのが残念だ。

 ■登山記=お参り大変、中腹に祠 本家の富士山も見える?

 遊覧船が出ている石廊崎漁港の無料駐車場(奥は有料駐車場)に車を止め、石廊富士を目指した。駐車場の西側を左折、車が1台通れるほどの道を10分余歩けば県道だ。県道を横断し、集落外れの人家下から入山した。

 5分ほどで畑跡を右折、中腹にある石製の二つの祠[ほこら](浅間社)まで山道がある。急登で30分ほどかかる。祠の裏に道はないが、急斜面を20分ほど登れば山頂。健脚向き。

 もう少し楽に山頂に行くには右に分岐した畑跡を直進、すぐ先のアロエ畑手前を右に入り、斜面を登ると県道(車道)ができる前の入間への古道だ。石廊富士山頂のテレビアンテナのケーブルを通り過ぎ、しばらく歩くと峠。頭のない小石仏が2体あり、ここを山の中へ右に折れる。

 踏み跡(山道)がある急斜面を登り、小ピーク付近の右手先に見える小山が石廊富士。下るとすぐ目印の赤テープを右に入り、道のない山中を下って登ればわずかで山頂だ。山道を直進すると風力発電の風車方面で注意が必要。

 山頂には江戸時代ごろ浅間神社があり、基礎の石や割れた瓦、さい銭代わりの丸い石が残り、往時の様子をとどめる。3等三角点もある。地元の渡辺健治さん(84)は「片方の祠はお参りが大変なので山頂から中腹に下ろした(昭和10年代)と聞いた。毎年6月1日に区役員らが豊漁や安全を祈願している」「若い頃に山頂に行った時、富士山が見えた記憶がある」と話した。

 荻野裕子さんは「江戸時代の絵図に中腹の祠が『日下ノ宮』または『同下ノ宮』と記される」とし、既に中腹に祠があったと想像され、「地元の取材で山頂の祠が男の浅間さん、中腹が女の浅間さんと語る人もいた。伊豆の他の富士山信仰の山と同様、『古史伝』によれば、本家の器量が美しい妹(木花開耶姫[このはなさくやひめ])に対し、姉(磐長姫[いわながひめ])を祭り、中腹以上は女人禁制だった可能性がある」との見方をした。

 帰路は登った2ルートのいずれかを下る。登山口に戻り、石廊崎オーシャンパークの完成後は県道を入間(右)方面に行き、同パーク入り口から石廊崎へ。オープン前は往路を戻って港から行き、美しい海岸線や石室[いろう]神社、石廊埼灯台(1963年まで石室埼灯台)を見学したい。

 断崖にある石室神社は基礎に千石船の帆柱が使われ、伊豆の七不思議に数えられる。禰宜[ねぎ]の小沢孝宗さん(51)は「海の安全、学問(産業振興)、縁結び(先端の境内社・熊野神社)の神」と、参拝、祈願を呼び掛けた。車へは海岸沿いの遊歩道を戻った。

 ■ジオ解説=複雑な海岸線つくる 水冷破砕溶岩と活断層

 石廊崎に立つと、周囲にはごつごつとした岩場が広がり、眼前に広がる海と合わせ迫力の風景を眺望できる。周囲に広がるごつごつの岩場は水冷破砕溶岩である。

 海底に噴出した溶岩が急激に冷やされ、ばりばりに砕けた岩石の集まりになったものだ。熱い飲み物を入れておいたガラスのコップを冷たい水につけると割れてしまうのと似た現象だ。見渡す限り広がる水冷破砕溶岩から、海底火山の大規模な噴火で大量の溶岩が海底に流れ広がった様子を想像してほしい。

 大小さまざまな岩からなる崖には、その不均質さや、波や塩分による風化・浸食によって蜂の巣のようなたくさんの窪みができている。岬にある石室神社はこうした窪みをたくみに利用して造られている。

 ダイナミックな地球の活動がつくり出したのは迫力ある海岸だけではない。1974年の伊豆半島沖地震の震源となった石廊崎断層もまたこの地域の地形に関わっている。

 石廊崎断層は石廊崎の北東側にある鷲ケ岬の付け根付近から石廊崎の集落、石廊富士の南側を通過し、中木―入間―吉田付近へと続く活断層だ。この断層は断層を挟んだ向こう側が右方向にずれ動く「右横ずれ断層」。

 過去何度も繰り返された断層のずれによって、石廊富士の北側に延びる風車が建つ尾根は、石廊富士付近で300メートル近く食い違っている。この断層の動きも石廊崎周辺の複雑な海岸線の一部を形づくってきた。

 石廊崎断層の過去の活動はあまり調査されていないが、活断層の多くは一般的に数百年以上の間隔を置いて活動するため、石廊崎断層そのものがすぐに再活動することは考えにくい。今は、はるか太古の海底火山や、繰り返されてきた活断層がつくってきた地球の風景をぜひ楽しんでほしい。

(伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員・鈴木雄介)

 【写説】石廊富士の山頂には江戸時代、浅間社があったという。瓦のかけらや基礎石の残骸などが名残を伝える

 【写説】石廊埼灯台の近くから見た石廊富士(風車の左側の三角形の山)。石廊崎漁港に入港する船の目印にもなったという

 【写説】石廊崎先端の断崖にある石室神社。社を支える基礎に「伊豆七不思議」の一つである千石船の帆柱が使われる

 【写説】石廊富士の中腹にある石製の祠2基。山頂に行くのが大変なため片方を山頂から中腹に下ろしたという

 【写説】自動車道ができる前の入間に抜ける古道峠にある頭のない石仏。ここから石廊富士の山頂を目指す